平成と年号が改まったのちで、現在ほど社会不安が高まった時期はないはずである。阪神淡路大震災という大災害とオウム真理教による一連の事件が発生した1995年でさえ、国家という権威に対する信頼感は現在ほど揺らいではいなかった。こういうときに心配なのは、心の隙間に忍び込んでくる悪の存在だ。
裏社会に取材したルポルタージュの第一人者である日名子暁が、そうした「不安」につけこむ犯罪者の群像を描いたのが『詐欺師たちの殺し文句』(主婦の友新書)である。昭和から平成にかけての著名な詐欺師たちを俎上に載せ、彼らがどのようにして悪行を成し遂げていったのかを判りやすく説明した本だ。詐欺に関する書籍としては格好の入門書である。
詐欺師たちの殺し文句
日名子暁
主婦の友新書
820円
入口にあたる序章に、人がなぜ騙されるのかという「詐欺師の法則」がまとめられている。ここを読んで少しでも心がグラリとした人は、本書の内容に最後まで目を通すべきだ。
その「詐欺師の法則」とは、「返報性」(他人に「借り」ができたときに「いつかお返しをせねば」と思う心理)、「好意」、「権威」、「希少性」、「一貫性」、「集団心理」である。「一貫性」が意外な項目かもしれないが、これは犠牲者を自分の掌中へと誘導するための戦法である。たいがいの人間は言動が完全に一致しているわけではなく、常にブレを生じさせている。詐欺師が言を左右にするというのは誤解で、逆に騙そうとする相手の一貫性のなさを逆手にとってくるのである。「あなたはこの前、こういったじゃあないか。それをひるがえすなどおかしい」と言質をとって責め立て、申し出を断りにくい状態へと追い詰めてくるのだ。統一教会やオウム真理教をはじめとするカルト宗教の勧誘者がこうした手法を使ってくることは、一度でもその場に立ち会ったことがある人間ならよく知っていることである。彼らは被勧誘者の心の隙をついてくる。
登場する詐欺の手法を順番に並べていくと、それだけで昭和から平成に至る裏社会史になっていく。「M資金」、昭和44年に内村健一が始めた天下一家の会を起源とする「ネズミ講」、ソ連による共産主義化洗脳の手法を取り入れて悪質化した「マルチ商法」、豊田商事を興した永野一男による「ペーパー商法」、アイドル歌手のパトロンとしてマスメディアへの露出も図った中江滋樹の「投資ジャーナル」、気弱な若者を狙って莫大な額のローンを組ませた「ココ山岡」、映画製作など自身を広告塔として売りまくった大神源太の「ジー・コスモス・ジャパン」などなど。
これらの詐欺手法の中には歴史の要請によって生み出されてきたようなものもある。たとえば現在に至るまで名を換え、形を変えて生き残っているM資金は、日本が戦争に負け、連合国の支配下に置かれたという事実から出発している。戦後の混乱期には多額の金が隠し資産として封印された。それが一般に知られていないのは、GHQの目を欺くためであり、日本でも政財界のごく一部のトップしか知らない事実である――こうした、眉唾ものの説得文句が、敗戦という大きな事実によってもっともらしい後ろ盾を与えられてしまったのである。M資金が歴史上初めて現れたのは政財界を巻き込んだ汚職疑惑、ロッキード事件の最中だといわれており、当時の全日空社長だった大庭哲夫がこれに引っかかった。立花隆『田中角栄研究』などによれば裏で糸を引いていたのは政界のフィクサー・児玉誉士夫だったといい、大庭の責任を追及して退陣を要求し、会社を乗っ取るためであった。それが事実だとすれば、M資金詐欺とは最初から政財界の癒着を前提としたものだったのである。また、昭和40年代の最初期のマルチ商法が、アメリカの連邦取引委員会で活動を制限された「外資系企業」によって始められたことなども記憶しておいたほうがいい。金の動くところを探して、常に詐欺師たちは移動し続けているのである。
内村健一の天下一家の会から平松重雄の国利民福の会が生まれたように、詐欺の手法は常に拡散し、法律の抜け道を求めて巧妙化する。また記憶が薄れたころに、古い手法が復活することもある。そうした意味で、過去の事例を頭に入れておくことは有用である。「おかみはあてにならない」と思っている人が多い時代には必ず「だから自分たちでなんとかしなければならない」と言って近寄ってくる人が出てくるはずだ。その中には必ず一定数の詐欺師が紛れこんでいる。「世の中はきれいごとばかりで動いているわけではない」「公けのものには必ず裏がある」といった具合に世間知を蓄えている人ほど、そうした詐欺師たちの甘言に心を動かされやすいはずである。自分だけは大丈夫、という思い込みのある方に、ぜひ本書を一読することをお薦めしたい。