弟・ダレンを演じる北村は本作が初舞台。だが、すでに数々の映画賞を手にしている実力派は、不慣れなところなどまるで感じさせない。その魅力は、声だ。歌手としても評価の高い北村の声は、すっと耳に溶け込み、琴線を揺さぶる力がある。
ダレンを演じる声は、いつもよりずっとハイトーン。だが、不快な金切り声ではまったくなく、張りがあり、一音一音が明瞭だ。その声が、ダレンの無垢な少年性を示している。
ダレンは純粋だが、決して腕白というわけではない。むしろ兄を筆頭に親しい人には屈託がないが、見知らぬ人には警戒心が強い。そして自分が人並みにうまくやれないことを恨めしく思い、必死に虚勢を張っている。根は臆病で内弁慶。言い換えると、ダレンはエリオットの庇護のもとでしか生きられないのだ。その脆さを、北村は怯えたような目線の使い方、不安げに揺れる声で表現している。
ダレンが兄を「エル」と呼ぶと、なんだか泣きそうに聞こえる。はぐれた幼子が母の名を呼ぶような北村の「エル」という声が頭から離れない。北村匠海の声が、人のせつなさを喚起させた。
配信だから味わえる、儚くも官能的な兄弟愛
そんな吉沢と北村が兄弟として激しくぶつかり合う場面が、本作の見どころ。
序盤で印象的なのは、ふたりが世界初の銀行強盗を成功銀行させたジェシー・ジェイムズの真似をして銃の撃ち合いをする場面。常に怒りと罪悪感に取り憑かれているようなエリオットが、このときだけは子どものように笑っている。それにほっと緊張がほどける。
(ごっこ遊びの中で)銃弾に倒れたダレンは「俺は、へその緒みたいに百万キロもまとわりつきたくなかったよって」と兄への言伝を残し絶命する。あくまで遊びだ。だけど、戯れの中でその言葉だけが妙にリアルで、漏れ出たダレンの本音に胸がずきんと鋭く痛む。
もちろん演劇の真髄は劇場でこそ味わえるものだが、配信だから堪能できる場面もある。本作で言えば、エリオットがダレンに「バタフライ」を食べさせるシーンがそうだろう。
小さなミスを犯したダレンは、ひどく自分を責める。そんなダレンの心を落ち着けようと、エリオットはご褒美に「バタフライ」を与える。宙を舞う蝶を追うように、「バタフライ」を凝視する北村の黒々とした瞳。「バタフライ」をぺろりと乗せる艶かしい舌。兄の鼓動を確かめるように胸に深く顔を埋める安堵の表情。そんな弟への愛がこぼれてしまうのを恐れるように、吉沢は客席の反対側に顔を背け、弟の頭を撫でるように叩く。
この一挙手一投足をこれだけ細かく味わえるのは、アップショットが使える配信ならでは。儚くも、どこか官能的。そんな兄弟愛にぜひどっぷりと浸ってほしい。