連続殺人鬼から届いた一通の手紙。そこには、たった1件の冤罪(えんざい)を証明してほしいと書かれていた…。『凶悪』(13)『孤狼の血』(18)の鬼才・白石和彌監督の新作『死刑にいたる病』が5月6日(金)から公開される。話題の小説を原作に、阿部サダヲ×岡田健史がW主演を務める。白石監督らしさ全開! ゾクッとする怖さが尾を引くサイコサスペンスだ。
-今回、櫛木理宇さんの原作小説を扱った理由から教えてください。
『彼女がその名を知らない鳥たち』で、ご一緒したプロデューサーから、「すごい原作を見つけたので、ぜひとも読んでほしいです」という連絡が来たことが、原作との出合いでした。ただ、僕は『凶悪』という映画を作っていて、死刑未決囚が「これを調べてくれ」と手紙を送ってくる構造が似ていたので、最初は迷いました。それでも榛村大和というキャラクターが圧倒的に面白くて、彼を見てみたかった。『凶悪』をやったからこそできることがあるなという思いもあり、チャレンジすることにしました。
-そうすると榛村役には、最初から阿部サダヲさんを念頭に?
そうですね。脚本を作る段階では誰なんだろう? と思いながらでしたけど、『彼女がその名を知らない鳥たち』で阿部さんとご一緒したときに、阿部さんは時々ほの暗い目をカメラに向ける瞬間があって、その目の記憶が僕の中にこびり付いていたんです。榛村なら、ああいう目をするんじゃないかと。皆に相談してみたら、「ぜひお願いしてみましょう」とごく自然に阿部さんに決まりました。
-もう一人の主人公である雅也役の岡田健史さんは?
青春映画にも出演されていますが、どこかで鬱屈した感じも似合うんではないかなと思い、会わせていただきました。そうしたら、真っすぐで曲がったことが嫌いで、恐らく頑固そう。「とにかく芝居がしたいんです」という一途さに好感を持ちました。それに、阿部さんの目は、見ている人を引き寄せていく、引き込まれそうになる目だけど、逆に話している人に向かって真っすぐさ故に突き刺さってくる目の印象があったので、この2人ならゾクゾクする目線のやりとりになるんじゃないかと。
-確かに、真逆のいいバランスですね。
それに、阿部さんと初めて組むということにもこだわりました。共演済みの場合、関係性ができているということではプラスはありますけど、今回は緊張感があった方がいいだろうと。お互いが、どういう芝居をするのか探っている感じが醸し出す空気感も重要だったので。
-岩田剛典さんや中山美穂さんも含め、イメージを覆すキャスティングは、意図的ですよね。
そうですね。僕自身が、イメージと異なる方が好きなんですけど、演じる方も「何でこの役が自分なの?」と思えた方が、テンションが上がるはず。この監督は、自分の他の人と違う部分を見てくれているんだと思うだろうし。
-脚本の高田亮さんとは初タッグになります。監督からリクエストしたことは?
原作は榛村大和の過去や、両親の話にもページを割いているんですけど、そこはあまり深掘りせずに、現在軸で何が起きているかを中心に据えた方が、よりサスペンスが立ちますよねと。それに、24人も殺しているじゃないですか。実際の事件で、実録ものであれば、お客さんも「あっ、あの事件か」となりますけど、榛村大和は架空の人物。しかも24件をフォローするのは大変なので、「どうしたらうまくいきますかね」という相談は最初にしました。ニュース番組を使ったりして、情報が見ている人にスッと飲み込めるように工夫されている。さすがだなと。
-対照的に雅也のバックボーンは、しっかりと描かれています。
加害者のルポルタージュは、日本の事件以外にもいろいろ読んでいますが、結局、何で罪を犯したのかが最終的には分からないことが多い。そこはあくまでもミステリアスにしておいた方が、面白いし、リアルだろうと。雅也は、巻き込まれてのめり込んでいきながら、人生自体が影響を受けて変わっていくので、家族を描くことは重要でした。
-2人が対峙(たいじ)する拘置所の面会シーンは見応えがあります。
『凶悪』の時、面会室をどう撮るかは大きな課題でした。あのときは、人物の正面と反対側の正面をカットバックするだけだったんです。それがあったから今回はもう縦横無尽にカメラを動かそうと。光も、強弱をつけたり、壁際を落としたり、雰囲気を出して、ガラスの映り込みもしっかり調整して、使えるものは何でも使おうと(笑)。森田芳光監督の『39 刑法第三十九条』(99)とか是枝裕和監督の『三度目の殺人』(17)とか、面会室のシーンが印象的な映画はけっこうありますけど、特別参考にしたということはないです。いくら見直しても、面会室ってやれることに限界があるので。最後はもうやれることがなくなって、阿部さんに「隣の部屋に入ってみてください」と。あれは現場で思い付いた演出でした。
-もう一つ、白石監督といえば、雨。生々しいのに作り込まれた画面が白石作品の特徴で、雨はそれに大きく貢献している。これほど雨にこだわるのはどうしてですか。
助監督時代の経験が大きいです。僕は若松プロ出身なのですが、若松孝二さんは独立プロでやっていたのでお金をかけられなかった。なので若松組では雨降らしをやった経験がないですし、クレーンもほとんど使っていない。その後、若松プロを離れてから他の現場で雨の映画的な効果を実感して、これは面白い!と。雨を降らせるだけで、何でもないシーンでもドラマチックになるんです。それを何度も体験したので、ホントは全編雨の映画を撮りたいんですけど、さすがに怒られますから(笑)。
なので、ポイントとしてどこかに雨を入れられるときは入れたいと思い、脚本が出来上がると、脚本には雨が降っているかどうかは書かれていないので、このシークエンスなら雨が降っていてもいいかなとプロデューサーと相談する。このシークエンスだと2回、ここは3回雨降らし隊が出動することになるとか、最初に明確に意識します。ただ雨はもろ刃のつるぎで、悲しいシーンに使い過ぎると逆効果なので、皆とけんけんがくがくやりながら決めています。
黒澤明監督の映画を見ると、雨だけでなく風だったり、あらゆる映画的な効果を使っているので、できることはやっていいんじゃないかと思います。ポン・ジュノ監督も、『パラサイト 半地下の家族』(19)は雨でアカデミー賞を取ったんじゃないかというぐらい、上下の空間を雨で表現している。自然を映画の中に映し込んで画面を作り込んでいく。それは映画の大きな醍醐味(だいごみ)の一つだと思います。僕の場合は、まだまだですけど。
(取材・文/外山真也)