YouTubeもNetflixもない時代、人々を夢中にさせた“物語り”の芸があった――。“たまたま”講談界に入った四代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)が、知られざる一門の歴史物語をたどります。

▼太宰府天満宮の「梅ヶ枝餅」


 前回の講釈で触れた、太宰府天満宮の人々の厚い信仰心。その余韻に浸りながら楽屋へ足を踏み入れると、そこにはまた新たな「素敵なもの」が待っておりました。


 楽屋に通されると、運ばれてきたのが太宰府名物「梅ヶ枝餅(うめがえもち)」。


 道真公の太宰府での生活が少しでも安らかになるようにという思いから、地元のご婦人が道真公に差し出したお餅が発祥です。それが現在、太宰府では欠かすことのできないお菓子となり、お土産になっています。


 ところが、楽屋にやってきた梅ヶ枝餅は想像していたよりも大きい。よく見ると二重になっているように見えたので、「これは重なっているのですか」と伺うと、


 「はい、上の梅ヶ枝餅と下の梅ヶ枝餅との間にも餡が入っている特別仕様です」


 「ということは、餡が三層あるということですね」


 「そうなんです。重ね重ねご縁がつながりますようにという思いを込めております」


 こんなことを仰っていただいたら、いつも以上に張り切るのが単純な人間の性。


 いざ、神道講釈『菅原道真公と太宰府』の開演です。


▼道真公の梅の木


 玉田家に残る『菅家世系録』では天照大御神(あまてらすおおみかみ)から御物語が始まり、『菅原天神記』では天穂日命(あめのほひのみこと)の末裔・野見宿祢(のみのすくね)から菅原家が生まれたと語られます。


 今回の神道講釈は、道真公の前半生の御物語はあらすじだけお伝えをし、京都から太宰府へ左遷されるところから語り始めました。


 道真公は、大好きな自邸の梅の木との別れを惜しみ、「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」というお歌を残されて京を旅立ち、伯母・覚寿尼(かくじゅに)がいる河内の道明寺へと参ります。


 ところがその道中、道真公の命を狙う者がおりました。道真公を陥れた当時の朝廷の最高権力者・藤原時平の放った刺客、笠原宿祢(かさはらのすくね)でございます。


 そんなことも知らず、道真公は道を進みます。笠原が、頃合いを見計らって道真公に斬りかかろうとした、そのときでございます。向こうのほうからやってきたのが白い牛。道真公が子どものころに京都・北山で可愛がっていた、あの牛でした。その白牛が持っております角で笠原を突き刺し、暗殺の企ては失敗となりました。


 伯母に別れを告げ、いよいよ太宰府へ向かいます。


 道中のお供は杖が必要な老僕であり、乗っていた車は車輪がゆるゆる。車を引いていた牛はムチを打たないと進まない。馬に乗ると、馬の蹄はやぶれており、船に乗ると船尾は壊れている。しかも最後、関門海峡や玄界灘という船の難所を乗り越えなければならない。


 散々な思いをしていよいよ太宰府に入ることになりましたが、衣類を整えようと井戸の水に姿を映すと、数十日の旅の間に道真公の顔はやつれにやつれておりました。道真公が思わずその水面をかき混ぜると、二度と姿をお映しする水にはならず、濁り続けたのでした。


 着替えが終わると乗り物にのり、太宰府を目指します。


 南楼(朱雀門)の下で乗り物から降りられると、朱雀大路には道真公のお姿を一目見ようと多くの人が集まっておりました。


 「あのお方が道真様だ」


 「立派な方らしい」


 「でも、なんでこちらに」


 「しっ、大きな声でそんなことを言うでない」


 住まいは配所府の南館(みなみかん)。ここは現在、榎社(えのきしゃ)があり、お祀りも行われています。


 道真公は南館を見て驚いた。


 「どこが入り口じゃ」 


 そりゃそうです。荒れ果てて通路は塞がり、入り口も何もない。庭も長年手入れが入っておらず、わさびの根が張り、井戸は砂で埋まってしまっている。


 「このようなところで暮らすのか…」


 その時に、梅が飛んできた!!


 「道真様が恋しくて飛んできました」


 「桜や松は元気にしていたか」


 「…実は桜は道真様を思い焦がれて枯れてしまいました。松は…よくわかりません」


 それを聞いた道真公が、


 「梅は飛び 桜は枯るる世の中に なにとて松の つれなかるらん」

と詠んだとか。


 講談師の話を全部信じないようにお願いします。


 講談師には、皆様を知的好奇心の扉の前までご案内することしかできません。


 無関心から関心へのお手伝い、それが今の時代の講談師のできる役割でございます。


 さあ道真公、ここ太宰府でどのような生活を送られるようになるのか、この続きはまた次回のお楽しみ。

◆四代目・玉田玉秀斎

玉田家は幕末、京都を拠点に全国で活躍した神道講釈師・玉田永教の流れをくみ、三代目玉秀斎は『猿飛佐助』『真田十勇士』『菅原天神記』『安倍晴明伝』などを世に広め、明治大正期の若者に大きな影響を与えた。四代目玉秀斎はロータリー交換留学生としてスウェーデンに留学中、逆に日本に興味を持ち講談師に。英語講談やヒーロー忍者講談、ビッグイシュー講談など新作講談を創作し、音楽演奏(ジャズ・アコーディオンなど)や文楽、吉本新喜劇、地域の伝統芸能とのコラボ公演も制作。永職会40周年記念事業として、神道講釈を各社で実施中。京都講談復興のため、京都劇場で「京都がたり」を定期公演している。2024年3月三重大学大学院修士課程「忍者・忍術学コース」修了。2025年秋、NHK朝ドラ『ばけばけ』怪談ばなし指導、FM大阪『天才的なバカになれ!』毎週日曜放送中。