脚本の三谷幸喜

 NHKで放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。6月26日に放送された第25回「天が望んだ男」では、主人公・北条義時(小栗旬)の主君で、これまで物語をけん引してきた鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(大泉洋)に死が迫る様子が描かれた。大きな節目を迎えたこの第25回に込めた思いを、脚本の三谷幸喜が語ってくれた。

-第25回、史実では詳細が不明とされている頼朝に死が迫る様子が描かれましたが、どんな思いでこの回の脚本を書き上げたのでしょうか。

 頼朝の死因に関しては「殺されたのでは?」など、いろんな説があります。ただ、「誰かに殺される」となると、そこに“殺す側のドラマ”が生まれてきます。これだけ長い時間寄り添い、彼のつらさや孤独を十分に感じてきた僕としては、そうではなく、あくまでも“頼朝側のドラマ”として完結させてあげたいと思ったんです。それで最後は静かに死なせてあげたいと。「結局、彼の人生は何だったんだろう?」「彼ほど寂しい男はいなかったんじゃないか?」その答えが浮かび上がってくるように心掛けたつもりです。

-なるほど。

 ですから、僕の中でこの回は、これまでの24回に比べてとても厳かな1日というイメージがありました。演出の吉田(照幸)さんもそういう僕の意図をくみ取ってくださり、厳かに頼朝をみとるような回になったと思います。(頼朝役の)大泉洋も一生懸命やってくれましたし、巴(秋元才加)と対面するシーンでは、「自然に涙が出てきた」と語っていたそうです。あんなに泣くとは思っていませんでしたが、それはこれまで演じてきた積み重ねがあった上での涙だったのでしょう。

-そういう意味では、この回はどこを取っても名シーンでしたが、特に三谷さんの想像を超えたシーンはありますか。

 頼朝が落馬したとき、いろんな人たちの姿が次々に浮かんでいくシーンです。実は、僕が高校生のときに感銘を受けた「草燃える」(79)の中でよく覚えているのが、頼朝の落馬シーンなんです。ただそのとき、僕は「その瞬間、他の人たちは何をしていたんだろう? 何を思っていたんだろう?」ということがすごく気になって、ずっとその場面が見たかったんですよね。だから今回は、それを自分のホンに書きました。僕の中では、もっと瞬間的にいろんな人たちの顔が瞬時に浮かんでいくイメージだったんです。でも、演出の吉田さんは、僕の思いをより強調し、一人一人、じっくりと時間を掛けてそれぞれの生活を描いてくださいました。意外でしたが、おかげさまで「僕が40年前に見たかったのはこれなんだ」と実感できました。ですから、吉田監督にはすごく感謝しています。

-その印象的なラストシーンは、これまで頼朝を「鎌倉殿」と呼んできた安達盛長(野添義弘)が、昔の呼び名である「佐殿」と呼ぶことで締めくくられます。この盛長の最後のせりふに込めた思いは?

 安達盛長は、頼朝にとって最古参の家臣です。今回、やや心残りなのが、盛長が頼朝の馬を引き、2人で蛭ヶ小島(流人だった頃の頼朝が暮らしていた土地)あたりを散歩しているシーンを作れなかったことです。それでも、その頃から慕ってきた盛長にとって、頼朝は生涯「佐殿」だったんだろうなと。そんな思いから、最後は盛長のあのせりふで締めくくらせていただきました。

-ここまでの物語を振り返ってみて、今回のような頼朝像になったのは、三谷さんと大泉さんの信頼関係の成果ということになるのでしょうか。

 大泉洋という俳優が源頼朝を演じた結果、こういう頼朝像が出来上がった、というのが全てだと思います。彼なら僕が望む頼朝像をきちんと、もしかしたらそれ以上に演じてくれるだろうと思っていましたから。彼が司会で、僕が審査員を務めた昨年末の紅白歌合戦を最後に、「鎌倉殿の13人」の放送が始まってからは一度も会っていませんし、メールもほとんどしていません。だから、接触はほぼありませんが、完成した作品を見ながら、「分かってくれているな」と常に感じていました。やっぱり、彼以上にこの役を演じ切れる人はいなかったですし、こんなに人間味のある頼朝を見事に演じられる俳優は他にいるだろうかと。それぐらい彼を信頼していました。

-ところで、第1回、頼朝が女装した場面について、「三谷さんからメールで駄目出しされた」と大泉さんが語っていましたが、その後、そういうやりとりはあったのでしょうか。

 ほとんどありませんが、彼が「日本中から嫌われていると思っている」と聞いたので、「日本中に嫌われても、僕はきみのことが好きだよ」とメールをしました。そうしたら、「おまえのせいだ」って返事がありました(笑)。

-それでは、ここまで描いてきた源頼朝という人物に対する思いを聞かせてください。

 主人公でないとはいえ、源頼朝という人をメインの登場人物として描くことができる喜びは脚本家冥利(みょうり)に尽きます。あれだけドラマチックな人生を送った人はそうはいないと思いますし、なおかつ、決して聖人君子というわけでもありません。女好きなところも含めて、欠点の多い人物ですから、僕だけでなく、誰が書いても魅力的になる気がするんですよね。昔から、それぐらい面白い人物だと思っていました。

-第25回の終盤、義時と頼朝が語り合うシーンで、義時が「鎌倉殿は昔から、私にだけ大事なことを打ち明けてくださいます」と告げるせりふがありました。2人の主従関係が的確に表現されていましたが、そこに込めた思いとは?

 僕は脚本を書くとき、先々の展開はあまり計算していないんです。もちろん、物語としての全体的なプロットはあります。でも、その時その時の「登場人物たちの思い」は、その瞬間、瞬間に「見つけていく」というイメージなんです。義時の人生をたどって、あのとき、義時はどんな思いだったんだろうと、自分なりに義時になって振り返っていく。そうすると、やっぱり頼朝から教わったことはたくさんあるし、いいことも悪いことも含めて、人の上に立って政を担う上で大事なことは、当然大きな影響を受けている。そういうことに改めて気付き、その思いをせりふにしていきました。

-なるほど。

 だからあのとき、義時が頼朝に対して「鎌倉殿は私にだけ大事なことを打ち明けて」と思い出したのは、僕が思い出したからなんです。僕の中の義時があの瞬間、これまでの頼朝との主従関係を振り返りながら書いたせりふです。そういう意味では、あれを書いた瞬間、今後どうなっていくのか、僕にも分かっていません。それは、自分でも書いていて不思議だなと思っています。

(取材・文/井上健一/田中雄二)