今年で35周年を迎えるカシオ計算機の耐衝撃腕時計「G-SHOCK」。「壊れない時計がつくりたい」という思いから1983年に誕生し、90年代に爆発的ヒットを記録。当時の熱狂を記憶している人も多いだろう。今回はブランドの立ち上げから「G-SHOCK」の開発・マーケティングに携わってきた増田裕一専務に、ムーブメントの全容、ブーム終焉後の苦境、そして試行錯誤の末のV字回復など、「G-SHOCK」の35年を振り返ってもらった。取材/道越一郎 BCNチーフエグゼクティブアナリスト
文/大蔵 大輔、写真/松嶋 優子
逆輸入でじわじわヒット 戦略転換には大きな決断
今年で「G-SHOCK」は35周年を迎えます。日本で90年代に爆発的にヒットして、その後は失速。しかし、最近はまた盛り返していると聞きます。いろいろと山谷があったようですね。
誕生から長く売れていましたが転機になったのは、ご指摘の通り、90年代のヒットです。それまで「G-SHOCK」は防水時計の1ラインという位置づけでしたが、もしそうならこれだけ継続して売れるわけがない。「他の防水時計と別物になっているのではないか」と仮説を立てて、デザインを変更したモデルを展開しました。
もともと、国内では売れていなかったのですが、米国のスケーターがファッションアイテムとして愛用している写真が雑誌に掲載されたことで、状況が変わります。いわゆる“渋カジ”と呼ばれるスタイルの若者が、雑誌を持って探しにくるようになったのです。
そのときまでは「G-SHOCK」というブランドを立てていくという意識はなかったのですか。
ありませんでしたね。マーケットで出回るようになって、ようやくわれわれも「どうやら売れているらしい」と気づきました。手元に当時作成した社内向けの資料があるのですが、雑誌の切り抜きだらけです。いま見ると笑ってしまいますね。
資料の作成年は「92年」。相当な年代物ですね。
なぜこんな資料を作成したかというと、当時、社内でデジタル時計がファッションのムーブメントを生み出している、と分かっている人間が誰もいなかったからです。上層部が集まる会議で「こういうことが起きているから販売促進を変えなきゃダメだ」と提出したのですが、信じてもらえませんでした(笑)
そのとき、すでに売り上げは伸びていたわけですよね。
この資料を提出したのは、まだ伸び始めたばかりの時期でした。「G-SHOCK」は耐久性を求める中高年がメインの客層でしたから、ファッション要素を前面に出して若者向けにシフトチェンジするとなれば大きな決断です。社内でも意見が割れましたね。
それでも方向転換したことによって、さらにブームは加速したと。
売り上げが一気に1.5倍に跳ね上がりました。ただ、ブームが去ったときの反動も大きかったですが。
ブーム終焉後はどのように再起を図ったのですか。
「G-SHOCK」だけではなくて、カシオの時計事業全体として打ち出したのが「アナログへの転換」です。もともとカシオはアナログはやっていませんでした。しかし、デジタルの売り上げは「G-SHOCK」ブームの終焉後は頭打ちだったので、やるしかない。背水の陣で臨みました。
社内の反応はいかがでしたか。
当然、反対する声は大きかったです。今からアナログに参入して勝てるのかと。しかも、カシオには創業時から「アナログの市場をデジタルに置き換える」という思いがあります。それに逆行するわけですから、非常に悩みましたね。
一方で、“電波”というデジタル技術で、アナログを進化させられるとも考えていました。それがないとカシオがやる意味がありません。もしこの転換がなかったら、現在のスマートウォッチのような方向性に進んでいたかもしれません。
カシオが追求するスマートウォッチというのも見てみたかった気がします。マーケットについても、90年代のブームのときとはだいぶ変わっていますね。
90年代のブームは日本がメインでしたが、2008年以降は「SHOCK THE WORLD」というプロモーションを展開し、マーケットを世界に広げました。かつてのブームと再度盛り返している現在は「デジタルからアナログへ」「日本から世界へ」という部分でだいぶ違っています。90年代は文字通りブームでしたが、現在は着実に積み上げた実績なので、簡単には崩れないはずです。
※『BCN RETAIL REVIEW』2018年1月号から転載