
【三重県紀北町発】取材の最後に、速水さんのシトロエンで山を案内していただいた。凛とした空気に包まれて森が広がる。天に向かってまっすぐな線を描くヒノキや、森の下方に重なり合うシダが実に美しい。車を降りてふと見ると、道の端がぬかるんでいる。猪が体についたダニなどを落とすために泥浴びをしたのだそうで、“ヌタ場”というらしい。「うちの山では、すべての動物はビジターではなくメンバーなんです」と速水さん。新しい森の姿が速水さんの山にあった。
(創刊編集長・奥田喜久男)
アセットとしての
森林価値を高めていく
前回では、日本の山の立木の価値がすごく下がっている状況を教えていただきました。
逆に言えば、買うチャンスではあるんです。大手はみんな買っています。
「今、山が買い時だ!」と新聞とかで書いたら、みんな買い始めるんでしょうか。
うーん。買ってどうしたいかがはっきりしていないとダメでしょうね。僕のところにも「山を買いたい」という話はきますが、よほど明確な方針がない限りおすすめはしません。
手入れや管理も必須ですしね。
まあ、日本は管理に関して完璧主義すぎるところもあるんです。例えば、間伐でも英国などは全然しないで放っておいて、機械で一気に伐採してしまう。
間伐しなくても大丈夫なんですか。
間伐が環境にいいと言っているのは世界中で日本だけです。木の種類や用途によっては、間伐しないことが最も効率的ということもありますから。
おお。日本の常識は世界の非常識ですか。
林業においてはそうですね。僕ね、今の日本の林業はおかしいと思っているんですよ。林業という産業に対して投資する価値がある環境をつくらない限り、日本の林業や森林は救われません。
世界は違いますか。
違います。森林投資ファンドが活発で、英国などは20%、米国でも最低数%のリターンを出しています。木は毎年成長していきます。投資物件そのものが増えていくのは森林だけなんです。
ちゃんとリターンがある投資なんですね。
森林投資は、株や為替と比べてリスクが少なく、世の中の動乱とかに関わらずゆっくりと上っていく。だから米国の大学のファンドや老人年金は森林に投資しているところが多いんです。そういうことが世界的に展開されているのに、日本だけがうまくいっていない。
なぜですか。証券会社の問題?
いや、違います。国の政策です。日本における森林政策において森林自体を“環境”だけでなく“アセット”として考え、その価値をどう高めていくかというセンスが必要なんです。
価値を高めてリターンを出すことの目的は?
すごく努力して工夫して、いろんなことを成し遂げた人は大儲けできる。そして、何となく山を持っている人にもそれなりに収入がある。その二つが大事です。
ほお。何となく持っている人も含まれるんですね。
今の農業がそうなんですが、ごく一部の人たちだけがトピックとして利益が出ているようなところがある。でもそうじゃなくて、何となく田畑を持っている人でも「農業やっててよかったな」と思えることが大事なんです。莫大ではないけれど、そこそこ収入があって子どもたちにも継いでいける。
その業界で働くみんなが、一定以上に幸せであることが大事と…。
そうです。うちがここまで続けてこられたのは、従業員がしっかりやってくれていたからです。だからそういう人々がみんな幸せである世界をつくりたい。林業だけじゃなくて、農業も漁業も、ですね。
そのセリフ、なかなか言えませんねえ。速水さんのそういう考えはどこから来たんでしょう。
さあ、どこでしょうね。そういうのって女性にモテるじゃないですか(笑)。
三重県の林業再興を通して
日本の林業の方向性を探る
速水さんはご実家の林業を営むと同時に、中央で日本の林業を牽引されてきました。でも今はどちらかというと三重県に軸足を置いていらっしゃいますよね。
そうです。60歳になった頃からそれまでの公の仕事の再任は、基本的にお断りしてきました。
それはどういう理由で?
僕は今69歳なんですが、年若の頃から林業界にいましたでしょ。そこに年齢が重なると、何となく僕が言うと話が通ってしまうんです。これは良くないなと。
おや。重鎮とか言われて、それをよしとされる方もいらっしゃいますが…。
僕は怖くなりましたね。自分がいいと思うことは、もちろん熟考した上でのことですが、世の中にはそうじゃない方法もたくさんあります。僕とは違う意見が出て、僕がそれを「いいな」と思える。組織はそれが大事です。組織を活性化していくためにも、自分が辞めなくてはと。
すごい。速水さん、拍手してもいいですか。
やめてください(笑)。それが一つ。そしてもう一つは、三重県の林業を再興したいと思ったことです。これまでの取り組みを否定するわけではなくて、ちょっと新しい視点でいろんなことをやってみたいと思って。
三重県の林業は全国的にどんなランクなんですか。
20何位ですね。生産量が減っています。例えば宮崎県は、木の成長量を10%上回るほど伐採しているんですが、三重県は成長量の4割くらいしか切っていない。つまり、6割は山に残っているわけです。
それは切れる木があるのに、切っていないということですか。
そうです。せめて8割くらいは切らないと産業として成り立ちません。林業の現場は山村ですから、大事な雇用の場でもあります。産業として動けば人を雇うこともできる。だから、ちゃんと収益が出るようにして、雇用を確保したいという思いがあります。
なるほど。そうしてかれこれ10年取り組んで来られたわけですね。
三重県の林業を活性化させることで、日本の林業の新しい方向が少しでも見えるようにしたいですね。それとは別に僕自身の林業として、次の世代に渡したいという考えがあります。
家業の後継ということでしょうか。
お話したように、僕は何代目とかいうことには全く興味がありません。でも、この素晴らしい山を次の世代には渡していきたい。そのために、最大限の努力をして、きちんと手入れをしています。だから経営も厳しいんですけどね(笑)。
次の世代はどういう方を想定していらっしゃるんでしょう。
家族であろうが、他人であろうが、管理会社であろうが、それは関係ありません。そこで働く人たちが幸せで、彼ら彼女らが誇りを持てる山をずっと維持できさえすればそれでいいです。
うむ。実に明快です。
そこに、僕の収入が乗っかればもっとうれしいんですけど(笑)。
速水さんと話をしていると、何だか本当に楽しくなります。長年の山好きとしては、山や森が豊かであり続けることはうれしい限りです。これからも日本の林業をよろしくお願いします。興味深いお話と、美しい山に感謝です。
こぼれ話
尾鷲で友人と昼食をとっている時だった。「林業家の方にお会いしてみませんか」と声をかけていただいた。“りんぎょうか?”の方ですか。どうも、その時はピンときていなかった。紀伊半島は、雨量が多く、豊富な樹林帯を抱えている。少し間をおいて「はい、お会いしたいです」と応えた。対談の当日は、いつになくワクワクした。それもそのはずだ。林業家についての知識がまったくなく、これまで取材した経験もない。未知なる分野だからだ。私は毎週、山に足を運び、樹林帯を歩いているので、身近な環境に山と木々がある。山域が変わると山の姿もさまざまだ。聞きたい話は山ほどある。まずこだわったのは対談場所だ。今回の対談相手、速水亨さんは尾鷲に隣接する紀北町に住んでおられる。そこは住まいだ。やはり、仕事場を希望した。地図で位置を確認すると、そこそこの山あいだな、と思った。当日はクルマを乗り継いで、現地に立った。山の空気を吸い込む。匂いが違う。ここはまったくの山中だ。山が大きい。紀伊半島の全域を感じ取ることはできないが、この山は深い。ここが仕事場の入り口なんだ。ここで、この山とともに生きながら、9代目か~。江戸時代からか~。
う~んと唸りながらも、予定した質問はまったくできなかった。林業の事業構造について聞きたかった。かつ、林業と社会の時代的変遷も質問リストにあった。質問を投げかけるのだが、話がうまく流れない。噛み合わないのだ。質問自体が要領を得ないのだ。「木が育つには50年、100年はかかりますから…」と。そこで“ハッ”とした。そうなんだ。樹木の成長は長い年月を要する。30年で社会が変わるとすれば、2世代を経た時代変化を吸収して林業経営は成り立つ。私の歩いてきたIT業界の取材現場は、柱時計がカッチと刻む速度で動いている。かたや、木の苗を植え、孫の代で売り物になる。逆に興味も湧いた。成長の速度がまったく違う二つ産業が、社会の中で噛み合い、人が生計を立てられるまでに育つうえで、どのような過程を踏むのだろうか。現在は噛み合っているのだろうか。どのようにして噛み合わせるのだろうか…。
林業家には二つの仕事があると思った。一つは苗を植え、樹木を育てる作業だ。もちろん伐採も伴う。もう一つは樹木の成長と時代変化の噛み合わせを調整し、ある時には世の中の意識改革を促す仕事だ。速水さんは経営者として後者の役目を担っている。対談の翌日には四国の山奥に移動して、林業家の会合に出席するという。「林業の現場は“山村”ですから」とおっしゃる。なるほど。
いま手元に速水さんが寄稿した冊子がある。名だたる文化人たちがページを彩っている。「世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』のこころ」だ。転載する。
ー景観はそこに住む人たちの心によってつくられる。世界遺産を守る私たちの暮らしぶりが、これからの熊野古道をつくっていくー 速水 亨
「それじゃ、檜を見てみますか」と促されて山に入った。ここをクルマで走るんですかと、ためらうような山道を「もっとゆっくりでいいんじゃないの」と呟きたくなる速度で飛ばしながら、さらに奥に入った。降り立ってホッとした。山の匂いが肺に充満する。いい感じだ。指をさしながら「あの木は100年檜、あそこに見えるでしょ」。それがなかなか特定できないのだ。歩きながら、あれもあれもと、指の方向を見る。目が見慣れてくると、なるほど、樹齢100年を超える檜はすっくと天に聳えて美しい。その一帯には檜が林立している。この苗は、7代目あるいは6代目が植えた檜かしら。今日植えた苗は11代目の頃には100年檜になる。100年先の社会はどんなだろうか。木の年輪は1年ごとに増える。実は樹皮も同じように年輪を刻む。樹木は生き物なのだと、深く思った。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。