『アムステルダム』(10月28日公開)
第1次世界大戦下のフランスの戦地で知り合い、終戦後にオランダのアムステルダムで一緒の時を過ごし、親友となったバート(クリスチャン・ベール)とハロルド(ジョン・デビッド・ワシントン)とヴァレリー(マーゴット・ロビー)。3人は「何があってもお互いを守り合う」と誓い合い、固い友情で結ばれていた。
数年後、1930年代のニューヨーク。バートとハロルドがひょんなことから殺人事件に巻き込まれ、容疑者にされてしまう。ぬれ衣を着せられた彼らは、疑いを晴らすためにある作戦を思いつき、ヴァレリーと合流するが、自分たちが巨大な陰謀に巻き込まれたことを知る。
デビッド・O・ラッセル監督の7年ぶりの新作。「まさかの実話を描いた」がうたい文句だった『アメリカン・ハッスル』(13)同様、今回も史実とフィクションを融合させた「ほとんど実話」の、あるグルーブによる“だましの映画”になっている。
前半の、3人がアムステルダムで友情を結ぶところは、グロテスクな描写があり、一風変わってはいるが、なかなか楽しく見られる。
ところが、舞台をニューヨークに移し、3人が政治的な陰謀に巻き込まれる段になると、もっと面白くなるはずなのに、蛇行するような展開が続き、テンポもよくないから、いま一つ乗り切れなくなる。その上、せりふと説明が多いから、必然的に時間も長くなる。ここらあたりも『アメリカン・ハッスル』と同じだ。
思うに、ラッセルという監督は、アイデアや目の付けどころはいいのだが、それを消化し切れず、ストーリーテラーとしてはあまり芳しくはないようだ。
『世界にひとつのプレイブック』(12)や『アメリカン・ハッスル』では、そうしたマイナス面をもろともせず、勢いに任せた強引な力業で押し切っていたが、この映画はその点も弱い。
事件の鍵を握る元将軍に扮したロバート・デ・ニーロが貫禄のあるところを示す。彼と主役のベールはラッセル映画の常連。どうやら、彼らとラッセル監督との相性はいいようなのだが、それなのになぜこういう出来になってしまうのか…。とても残念な気がした。
『チケット・トゥ・パラダイス』(11月3日公開)
デビッド(ジョージ・クルーニー)とジョージア(ジュリア・ロバーツ)は、20年前に離婚して以来、必要に迫られて会うことはあっても、いがみ合ってばかりいた。そんな2人の愛娘リリー(ケイトリン・デバー)がロースクールを卒業し、親友(ビリー・ロード)と一緒にバリ島を訪れるが、数日後、両親に「現地の男(マキシム・ブティエ)と結婚する」という連絡が入る。
弁護士になる夢を捨て、会ったばかりの男と結婚するなどとんでもないと、デビッドとジョージアは、現地へ赴き、娘の結婚を阻止するために、不承不承、共同戦線を張ることになるが…。
最近は珍しくなった、いわゆる“ラブコメ”で、あり得ない設定でのお気楽な恋愛話が繰り広げられる。ハワード・ホークス監督の『ヒズ・ガール・フライデー』(40)を参考にしたという通り、プロデュースも兼任したクルーニーとロバーツが丁丁発止と渡り合うさまが見どころだ(久しぶりにロバーツの大口が全開!)。
ただ、リリーの結婚観があまりにも能天気で、どうにも興ざめさせられる。ロースクールを出たエリート候補が、旅先の南の楽園で一目ぼれした男と結婚するという状況を冷静に考えれば、両親が「今はいいけど、そのうちに飽きる」と思うのは至極まっとうな話。だから、笑いの核となるべき、両親と娘との対立構造が生むおかしさが弱くなる。
その分、心底映画に入り込めず、コロナ禍を経た今、「だからこそ、こうした娯楽映画(ラブコメ)が必要なのだ」という思いと、「本当にこんなにお気楽でいいのか」という、二律背反する思いが交錯するような、隙間が生じるのだ。
このあたりの緩さは、監督が、同種の失敗作『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』(18)のオル・パーカーなので、推して知るべしか。監督はつらいよ。
(田中雄二)