
中村俊輔が最後の別れを告げた。10月18日に現役引退を発表、23日の『明治安田生命J2リーグ』第42節・ロアッソ熊本戦でスパイクを脱ぎ、11月10日に引退記者会見に臨んだ。1997年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)でスタートしたキャリアは26年目の今季、横浜FCで終えたのだった。
中村は横浜で始まり横浜で終わったキャリアを「深園というクラブチームで若林先生のもとでサッカーを始め、小5の時にで横浜市の選抜に6年主体のチームに選ばれた。若林先生や堀内会長が周りの反対を押し切り入れてくれた。そういう御恩が横浜にいっぱいある。初めて親と見に行った三ッ沢での日産対読売、木村和司さん対ラモスさん、カズさんもいて、そこで虜になり、『自分もここでやりたい』と思うようになった。三ッ沢でプレーできて、三ッ沢で終われたので本当に良かったなと思う」と振り返った。
現役時代の原動力は問われると、こう答えた。
「自分の中から出てくるサッカーがうまくなりたいという情熱、それに尽きる。上のレベルに行くと、そういう人が集まってくる。40過ぎてまさか一緒にカズさんとやれるとは。自分よりもサッカーに情熱があるカズさんに横浜FCで会えたのは財産」
数年前から引退は意識していたと言う。
「30後半からはいつ終わっても悔いのないように、単年契約でそういう気持ちでいた。今季、足首が痛くてそれから」
将来的に指導者の道へ進む中村だが、理想の監督像は持たないと語った。その心は。
「選手の時はあったが、それも作らない。自分の感覚やモノサシでやると伝わらない。演じることも必要かもしれないし、B級ライセンスを取る時に『答えがわかっているから教え過ぎ』と言われた。まだまだ勉強の身」
自身にとってサッカーとは何か問われると、中村は「生きがい。すべて。それに尽きると思う」とキッパリ。
縁のある豪華メンバーからビデオメッセージも届いた(松井大輔のみ花束贈呈で登場)。
小野伸二「一緒にプレーするたびにサッカーの楽しさ、面白さを共有できて幸せな時間だった」
川口能活「天才が努力するとこうなるという代表的な例を示してくれた」
遠藤保仁「『俺にもFK蹴らせろよ』と多々思ったが、『あなたの左足は世界一』かな」
長友佑都「プロとはどうあるべきか、どう行動すべきか教えてもらった。僕の大きな財産」
岡崎慎司「言葉ではなく俊さんの生き方を尊敬しているし、その魂を受け継いでがんばりたい」
ゴードン・ストラカン「その素晴らしいキャリアの一部に関わることができて光栄に思う」
三浦知良「2019年にJ1昇格を果たしたことがいい思い出。いい宝物として自分の胸にしまっておきたい」
松井「お疲れ様です、ありがとうございます、これからも日本のサッカー界を引っ張っていってください」