北条義時役の小栗旬 (C)NHK

 NHKで放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。物語はいよいよクライマックスに差し掛かりつつあるが、一足先に全48回の撮影を終えた主演の小栗旬(北条義時役)が、約1年半近くにおよぶ撮影を振り返りながら、現在の心境を語ってくれた。

-長期間の撮影、お疲れさまでした。まずは、クランクアップしたときの気持ちを聞かせてください。

 今まで経験してきたアップとは、またちょっと違う感じでした。まだまだ続けたい気持ちももちろんあったし、同時に「やっと終わったんだな」とほっとする気持ちもあって…。一言ではなんとも言い難い心境でした。

-放送開始当初、「大河ドラマの撮影は仕事というより、生活の一部」という話をしていましたが、それがなくなった今の気持ちは?

 本当に納得のいく終わり方をさせていただいたので、引きずるような感覚もなく、スパッと切り替わった感じです。さっき、制作統括の清水(拓哉)さんとも冗談みたいに話していたんですけど、「今からもう一回、義時をやって」といわれても、「全くできません。何も覚えていません」という気分です、今は。

-それぐらい、きれいに終われたということですね。それでは、この作品を通じてご自身の成長を感じた部分は?

 俳優としては、1年4~5カ月、48回をかけて、若い頃から晩年の義時までやらせていただき、1人の人間を生き抜くとか、人物を作るには、ここまで深く読み取っていかなければいけないんだなという経験をすることができました。もちろん、これまでも同じように役に臨んでいたつもりですけど、義時という役をやる中で、回を重ねるほど、「なぜここでこのせりふを言うことになったんだろう?」と考える時間が多くなってきたんです。だからこそ、作品が今、自分や他の皆さんの役を通して、お客さんに楽しんでもらえるものになったのかなと。おかげで、今後は、事前にこのぐらい、役を深堀りしておかないといけないなとも感じるようになりました。

-役への向き合い方が今までと違った部分も?

 この義時に関しては、それこそ後半は、台本をそんなに読み込まなくても、場面がなんとなく思い浮かぶようになり、台本にも「自分がやってきた義時だったら、きっとこう行動するだろうな」ということが書かれていたんです。だから、自分はただの器で、北条義時としてそこにいればいいという感覚になってきました。それはある意味、一つの自信になったというか。ただ、僕は不器用なので、そんなふうに「演じる」ということを越えて人間を表現するには、1年5カ月ぐらい使わなきゃいけないんだなとも感じたりしました。

-「鎌倉殿の13人」を通じて、北条義時という人物に対するイメージはどう変わったでしょうか。

 学生時代、僕はその名前すら知らなかったですし、もう少し歴史を学んでいる人たちにとっても、承久の乱ぐらいでしか名前が出てこない人物だったと思うんです。しかも、『吾妻鏡』という幕府公式の歴史書が残っているのに、“悪者”と思われてきた。確かに、やってきたことがすごいので、仕方ないのかもしれませんが…。そういう人物が、この大河を経て、新たに「孤独な男だった」というイメージで受け取ってもらえるようになったんじゃないかと。

-なるほど。

 そのために前半、ものすごく明るく、真っすぐだった彼をしっかり見せてきたわけです。後半は、本当はそこから何も変わっていないんだけど、執権という立場にある以上、「こう振る舞わなければいけない」という、彼の中で大きな矛盾とともに突き進まなければいけなくなった。それによって、北条義時という人物を、ものすごく面白い人間像に育て上げることができたんじゃないかと思います。

-小栗さんの「全部大泉のせい」という発言を始め、Twitterなど、SNSでも毎回大きな反響がありましたが、そういう視聴者の反応をどう受け止めていましたか。

 あれは本当に、言ってよかったですね。やっぱり、毎回オンエアが終わると、その話のキーフレーズみたいなものが話題になるのはうれしいです。現場でもよく話題になっていましたし、みんなの励みにもなっていました。あと僕は、いつかトレンドワードに、「女子はみんなキノコ好き」が上がればいいなと思っているんですけど(笑)。

-実現してほしいですね(笑)。

 女性に対してストーカー気質があった義時のことを、お客さんがちゃんと「気持ち悪い」と言ってくれるのもうれしかったです。初めは「気持ち悪い」で、途中から「怖い」、「あいつヤバイ」という感じになってきて。48回やらせてもらって、北条義時という人を「好きだ」とか「いいね」と言われることのないまま来たのが、すごくいいなと。最終回まで北条義時をやっていく上で、僕に不快な思いや、怒りを感じるお客さんが多ければ多いほど、役者冥利(みょうり)に尽きるというか。そういう評価をもらえていることが、自分にとってものすごく励みになっています。

-最近は「全部小栗のせい」「全部義時のせい」みたいな感じになってきていますね。

 そういうキャラクターをやれてよかったと思う一方で、「振り返ってみてください。こいつも結構いいやつだったんです」という思いもあるんです。第1回からいろんなボタンの掛け違いやストレスやプレッシャーがどんどん積み重なって、今の彼になってしまっただけで。三谷(幸喜/脚本)さんが「人間はそんなに急に変わるわけじゃない」とおっしゃっていたように、じわじわと何かが彼の中をむしばんでいく様子をこの作品では丁寧に描けたと思っています。だから、前半は「大泉のせい」だったものが、「小栗のせい」になったとしたら、こんな痛快なことはありません。

-それでは、もし今後、再び大河ドラマの主演オファーがあったら?

 大河ドラマの主演は、またいつかやりたいと思っています。今の日本の環境では、こんなふうに1年4~5カ月、ノンストップで48回を撮って、一人の人物を描いていける場所は、他にありませんから。その際、できれば今回と同じように、あまり皆さんの先入観がない人物を演じられたらとは思います。有名な人物は、みんないろんな意見があるから、たぶんしんどいと思うんです。今回、僕がここまで楽しめたのは、「みんな義時のこと、そんなに知らないでしょ」と言えるところも大きいので。こんなこと言うと、次の松本(潤/「どうする家康」主演)くんにものすごく申し訳ないんですけど(笑)。

-最終回の放送が終わると、間もなく小栗さんは40歳の誕生日を迎えますが、今回の経験を踏まえた上での40代の展望は?

 もうすぐ吉田鋼太郎さんとの舞台の稽古が始まるんですけど、その舞台が終わったら一度、きちんと自分の今後を考える時間を作らなければと考えています。興味をそそられるようなお話もいくつか頂いているので、そういうものもひっくるめて、今後、どういう形で役者として生きていくのか、決めていかなきゃと思っています。

(取材・文/井上健一)