――当時、DEAD ENDのプロデュースに関わるようになったのはどういう経緯で?
岡野:そもそもの発端はDEAD ENDのベーシストのCOOL-JOEと大島さんが飲んでて、それが87年だったかな? ウチに電話がかかってきて、「今、DEAD ENDのJOEと一緒に呑んでて、岡野さんも来ない?」と誘われて。それがきっかけ。個人的に会うにはそれが初めてだったんだけど。仕事としてオフィシャルにオファーがあった経緯は全然覚えてないんだよね(笑)。
このアルバムから岡野さんはプロデューサーとして参加
大島:その頃、岡野さんはPINKというバンドのベーシストで、元々JOEは岡野さんのことをベーシストとしてリスペクトしていたと思うし、その時も「PINKの岡野さんのフレーズはかっこいい」みたいなことを言ってたから「じゃあ呼ぼう」と電話をしたのかな。
――DEAD ENDはたくさんのフォロワーを生んでますし、後期DEAD END…特に『ZERO』に関して言うと後に「ヴィジュアル系」と呼ばれるような空気をすごく感じるんですよね。
岡野さんはL'Arc~en~CielやLa'cryma Christi のプロデュースにも関わっていますが、その際にそこを意識してはいたのでしょうか?
岡野:それはとくに考えたことはないんですね。L'Arc~en~Cielと関わった時は、まだ彼らがDEAD ENDの影響を受けているということは知らず。まあ仕事してるうちに「DEAD ENDの影響をすごく受けてるんです」とHYDEくんやtetsuyaくんが話してて、色々思い出話の中で「ああ『shambara』のあそこのアルペジオやってみようか」みたいなことはありましたけどね。
たしかに今『ZERO』を俯瞰して聴いてみると、そういうアレンジメント構造は当時から見え隠れはしてるかもしれませんね。
――この2013年にトリビュートアルバムをリリースすることになったのは何故なんでしょうか?
大島:元々、DEAD ENDのトリビュートアルバムを作ろうという話は何度もあって。フォロワーがとにかく多いというのは周知の事実だったし。最初は10年以上前かな? 大きな動きは2回あったんだけど、結局DEAD ENDが動いてなかったし、メンバーを無視してやるわけにはいかないしで、色々あってなかなか実現しなくて。
去年から今年にかけてDEAD ENDがメジャーデビュー25周年ということもあって、また話が動き始めたんですね。それが3度めの正直じゃないですけど、ちゃんと腰据えて良いものを作りましょう、という流れですね。