撮影:石阪大輔

「ジャングル・ブック」で知られるノーベル文学賞作家のラドヤード・キプリングが、第一次世界大戦中に書いた詩を名優デイヴィッド・ヘイグが戯曲化し、舞台化、さらに映像化もされた『My Boy Jack』が上村聡史の演出で上演される。一家の厳格な父であり、近視ゆえに軍に入隊できない息子を人脈を使ってねじ込むラドヤードを眞島秀和が演じる。

健康な肉体を持つ者は戦地に行くべしという理想を掲げ、妻や姉の反対を振り切り、誇りを持って息子のジョン(ジャック)を戦地へと送り出すラドヤード。だが、西部戦線へと出征したジョンは戦地で消息不明となり…。

ラドヤードについて眞島は「最初に台本を読んだ時は、相当な“堅物(かたぶつ)”という印象だったんですが、映画を観たら、愛国心があり、家の名誉も重んじるんだけど、父として息子への愛情を持っている人物であり、時代が彼にそうさせた部分があるのかなと感じました」と語る。

ラドヤードが戦争中にしたためた『My Boy Jack』という詩は、声高に戦争が悪いと言うでもなく、「息子を返せ」と叫ぶでもなく、荒れ狂う時代の中で、なすすべもなくいる者のやり場のない憤りや嘆きがつづられる。

劇中、息子が行方不明との報に接したラドヤードが「たとえ死んだとしても、それは最高の瞬間だったかもしれない。生き残るよりも良かったかもしれない」という意味のセリフを口にするシーンがある。いったい、どんな思いで彼はこの言葉を口にしたのか。
「そう思うしかなかったということなのか…? 戦争の怖さってそういう部分にあるのかもしれません。戦地で殺し合いをする中で“名誉”というものが生まれてしまう怖さですよね。母親は、そんな父とは全く違う思いで息子を見ていますが、一家の長として、そうあらねばならない――そこに縛られているのかなと」

当時の一家の主としてふるまうラドヤードのセリフからは、60代に近いような貫禄や重みが感じられるが、実際には戦時中は40代後半から50代であり、現在の眞島とさほど変わらない。現代とは異なる「あの時代の人間の密度の濃さ、骨太さを稽古を重ねていく中で身に着けたい」と語る眞島。一方で「もし、彼がもっと歳を重ねていたら、そこまで無理して戦地に息子を送らなかったんじゃないかとも思います」とも。苦悩と葛藤を内に抱えた父親像をどんな形で舞台上で表現してくれるのか楽しみだ。

『My Boy Jack』は10月7日(土)より紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAにて上演。

取材・文:黒豆直樹
スタイリスト:増井芳江
ヘアメイク:佐伯憂香