戦地に息子を送り出した一家の苦悩を描く舞台「My Boy Jack」が10月7日(土)に開幕する。9月下旬に行なわれた稽古の模様を取材した。
ノーベル文学賞受賞作家で、「ジャングル・ブック」の作者としても知られ、第一次世界大戦で息子を戦地で亡くしているラドヤード・キプリング。彼の手による同名の詩を戯曲化した本作。上村聡史が演出を務め、眞島秀和が一家の長・ラドヤードを演じ、その妻・キャリーを倉科カナ、戦地へと赴く長男・ジョンを前田旺志郎、そして、姉のエルシーを夏子が演じる。この日は、通し稽古が行われ、前半の第1幕を見学した。
物語は、まもなく16歳になるジョンと父親のラドヤードが陸軍の入隊面接に行く準備をするところから始まる。メガネなしでは数メートル先の視界もおぼつかないジョンだが、父はそんなことお構いなしに息子を鼓舞する。陸軍の面接では、やはり近視を理由に断られるが、最終的にラドヤードは著名な作家としての人脈を駆使し、息子を軍へとねじ込み、その後、ジョンはドイツとの戦いの最前線に送られることになる…。
息子が従軍し国家に奉仕することを「チャンス」と口にするラドヤード。知性と威厳にあふれる一家の長を眞島が力強く演じる。早い段階からドイツの侵攻を予知する慧眼と共に、家族への愛や優しさも持ち合わせているが、その高い知性が第一に向けられるのはあくまで“国家”。現代に生きる我々は、その後の歴史や彼の息子の運命を知っているがゆえに、ラドヤードの勇ましい言葉に愚かさや虚しさを覚えるが、一方でこうした歴史の教訓を社会全体で共有する100年後の世界に生きながら、いまなお戦争を止める術を持たない我々に、彼の振る舞いを嗤い、責める資格などあるのか。
前田は、国家への忠誠や奉仕などではなく、ただ権威主義的な父親の束縛から逃れるために入隊を志願する10代の若者の苦悩や恐怖を繊細に演じており「家じゅうを探しても、気持ちよく座れるイスが1個もないんだ」「僕はただ、本当の自分になりたいだけ」という言葉が胸に迫るが、彼の不幸は“自分探し”のための父からの逃避先が、最前線の塹壕という地獄だったこと。
倉科、夏子の言葉や佇まいからは、ジョンが「国家のため」という大義の下、戦地に送られることへの不安や怒り、そして無力感がひしひしと伝わってくる。
戦争という過酷な現実、暴力を前にした一家はどのように変容していくのか――。
「My Boy Jack」は10月7日(土)より紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAほか全国3都市で上演。
取材・文:黒豆直樹