――ジャンルにこだわらずとも、楽しいことがしたいと。

KIBA:誘っていただいたイベントはスケジュールさえあえばほとんど出ます。ただ残念なことに長くやってると「ベテランだから」ということでなかなか誘ってくれないんで、こっちから誘う時は自分でライブ見て、「面白い!」と思うバンドを誘うようにしますね。

やっぱり面白いバンドと一緒にやりたい。「来てくれている人が皆そっちのバンドに行っちゃうかもしれない!」って思えるライブが好きです。そういう時がやっていてやっぱり楽しい。すごい面白い人とやって、お客さんには僕らもこっちも面白いなって思って欲しい。刺激的な方が好きなんで。

――なるほど。

KIBA:元々Gargoyleって、友達と集まった時に「なんか面白いことしない?」「この人数ならバンドがいいんじゃない?」ということから始まったというのもありますし。最初は当時のドラムの家の木工所で「あ~楽しい~」って演奏してるだけだったのが、やってるうちに「ライブハウスに一度出てみたいな」と思うようになったんです。

だけどずっとお客さんのいない木工所で演奏してるだけだったから、どうやったらお客さんが来るのかも全くわからなくて、1回目のライブをする前にものすごくチラシを作った覚えがあります。

バイトしてお金を出しあって、毎回、写真を撮り直して、違う写真を使ったチラシを作って、何ヶ月もずーっとチラシを配り続けてたら、最初のライブからある程度のお客さんが来てましたね。

――今は無くなってしまった大阪のライブハウス、心斎橋バハマ(06年に閉店)によく出ていたと伺っています。

KIBA:最初はずっと心斎橋バハマでしたね。当時のバハマってチャージが300円、400円、500円、とあって。まあチケット代のバックですよね。

300円はオーディションバンドで400円が普通のバンド、500円は土日にやらせてもらえるようなちょっといいバンドなんですけど、僕らが最初に500円になったとき、バハマの長い歴史の中で「1番下手な500円バンド」と言われました(笑)。曲も3番まであるのに2番で終わるとか…、2番で終わるのに5番ぐらいまでいってるとか(笑)。まず曲を覚えてないみたいな。もうムチャクチャだった(笑)。周りのバンドの人に「何故あいつらが!」とかぶーぶー言われましたけど、オーナーが「あれは面白いから良い」と言ってくれて。

なんて言ったら良いんだろう…、あの当時は芸能事務所に入っているバンド以外は、ライブハウス上がりで(音楽で)ご飯食べれてるバンドなんていなかったんで、デビューしてもバイトしてたりしてて、「(音楽で)食べれない」ってわかってるのに、ロックをやっているわけじゃないですか、だから全員ものすごく音楽に詳しかったですし、技術もすごく高かったと思います。

――ロックミュージシャンに対して、世間からの風当たりが今よりもずっと強かった頃ですよね。

KIBA:そんな中に「楽しいからやりたい」ってポッと飛び込んだんで、本当に雲泥の差というくらい下手でしたね。今見るとよくこんなんでライブやってたなと思えるぐらい(笑)。
僕はメタルとかロックは好きでしたけど、「今日はライブハウス行く?」みたいな感じで、たくさんある遊びの中のひとつとしか思ってなかったから、その人たちに比べると情熱が薄かったかもしれないですね。

でもそういう人たちから受けた刺激も大きかったんだと思います。今は成功すればヒットチャートに出たりだとか、どんどん大きい会場でやったりだとか健全な夢があって、それもすごく良いことだと思うんですが、当時のその人たちが持ってたストイックさや情熱みたいなもの、僕らはその両方見れたのが良かったんだと思います。