(C)2021 朝井リョウ/新潮社 (C)2023「正欲」製作委員会

『正欲』(11月10日公開)

 不登校の息子が世間から断絶されることを恐れる検事の寺井(稲垣吾郎)。ある秘密を抱え、自ら世間との断絶を望む寝具販売員の夏月(新垣結衣)。夏月の中学の同級生で、彼女と秘密を共有する佳道(磯村勇斗)。心を誰にも開かずに日々を過ごす大学生のダンサー大也(佐藤寛太)。大也と同じ大学に通う男性恐怖症の八重子(東野絢香)。一見無関係に見えるそれぞれの人生が、ある事件をきっかけに交差する。

 『あゝ、荒野』(17)『前科者』(22)に続いて、監督・岸善幸と脚本家・港岳彦のコンビが、朝井リョウの同名小説を映画化。家庭環境、性的指向、容姿などさまざまな“選べない”背景を持つ人々の人生を描く。

 キャッチコピーに「あってはならない感情なんて、この世にない。それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ。共感を呼ぶ傑作か? 目を背けたくなる問題作か?」とある。

 なるほど、この映画は特異な人物を登場させ、彼らの姿を通して「普通とは何か?」「多様性とは?」「正しい欲とは?」「人と違うことは駄目なことなのか?」といった問い掛けを行っている。屈折した難役に挑んだ新垣、磯村の好演も目を引く。

 とはいえ、正直なところ、自分は稲垣が演じた“常識人”を気取る寺井と同じ視点で登場人物たちを眺めていた気がする。もちろん、彼らの行動を理解できるところもあるが、根本ではどうしても共感し切れなかったのだ。特に水フェチと小児性愛を絡めたところには疑問が残った。

 ところが、先に行われた東京国際映画祭で、この映画は最優秀監督賞と観客賞を受賞した。観客賞はこの映画に共感した人が多かったことを意味する。となると、この場合は映画に共感できない自分の方がおかしいのか、マイノリティーなのかという思いにとらわれた。図らずも、映画のテーマを自分自身が体感するという不思議な感覚を抱かされたが、それこそがこの映画の狙いだったのではという気もした。

『蟻の王』(11月10日公開)

 1960年代のイタリア。ポー川南部の街ピアチェンツァに住む詩人兼劇作家で蟻の生態研究者でもあるアルド・ブライバンティ(ルイジ・ロ・カーショ)は、教え子の青年エットレ(レオナルド・マルテーゼ)と恋に落ち、ローマで一緒に暮らしはじめる。

 しかし2人はエットレの家族によって引き離される。アルドは教唆罪で逮捕され、エットレは同性愛の「治療」と称した電気ショックを受けるため矯正施設へ送られる。

 世間の好奇の目にさらされる中で裁判が始まり、新聞記者のエンニオ(エリオ・ジェルマーノ)は熱心に取材を重ね、不寛容な社会に一石を投じようとするが…。

 イタリアの名匠ジャンニ・アメリオ監督が、同性愛の許されない時代に恋に落ちた詩人と青年をめぐる「ブライバンティ事件」の実話を基に描く。

 「わが国に同性愛者はいない。故に法律もない」というムッソリーニの言葉の引用や、「同性愛者の行き着く先は2つしかない、治療をするか自殺をするかだ」というセリフもあったが、1960年代のイタリアは、同性愛者に対しては恐ろしく不寛容な国であり、その奥には宗教やファシズムの問題が内在していたことを知らされた。

 ところで、アルドを断罪して裁判に持ち込むエットレの母と兄の行動は、いささか異常な感じもするが、アルドはエットレの兄とも関係があり、結果的に兄から弟に乗り換えたのだから、母と兄が怒るのも無理はない。

 また、狷介(けんかい)なアルドの行動も決して褒められたものではなく、何やら今のジャニーズ問題とも重なって見えるところもあり、宣伝文句のように、美しい純愛悲恋ものとしては見られなかった。まあこの手の話は、結局はどちらの側から見るかなのだが…。

(田中雄二)