「本人は撮りたいとも思っていないのに、仕事やシステムの一環で監督をしている人もいますよね。その人たちが安易に監督ができる環境を疑問に思うし、それができるのならもっと若者にチャンスを与えてくれよ!って叫びたい。撮りたくても撮れない才能とそういった環境は直結した方がいいし、彼らこそ優先すべきだという考えはずっと変わっていない」
それは、才能ある自主製作映画の監督たちとも触れ合ってきた斎藤工が肌で感じている実感だ。
「自分の半径だけで手いっぱいの大人たちが増えてきてしまったから、映画を志す若者たちは自分で切り開いていかないといけない。でも、それだと(経済的にも精神的にも)傷だらけになるので、結構その接触を避けて“自主”の世界で甘んじている人も増えている。それが残念でならないんですよ」
その人たちをどうにかしたい。というよりは、彼らが生み出す“映画”を観たいという衝動が斎藤工を突き動かしているのだ。
「お客さんが映画館に足を運ぶきっかけを作るのが、“役者”としての僕の立場だと思っていて。
僕の存在が家を出るきっかけになって、それで観た若い人たちの映画に衝撃を受けてくれればいいなと思っているんです。
そういう役割を果たしたいという意味では今後も役者を続けていくと思うんです。僕の根っこにあるのはやっぱり映画なので、いずれは製作や配給、買い付けやキャスティングの仕事もやっていきたいと思っているんです」
それにしても熱い。映画好きは世界中に吐いて捨てるほどいるが、映画についてこれほど全身全霊で向き合おうとしている人はなかなかいない。
高校時代に1500本もの映画を観まくった斎藤工の原点とは?
それこそ高校時代に近所のレンタルビデオ店で「あ」から順番に1500本もの映画を観まくった彼を、ここまで映画に向かわせたものは何だったのだろう?
「中3か高1のときに観た黒木和雄監督の『竜馬暗殺』(’74)がきっかけですね。それまで僕が観ていたテレビの時代劇は殺陣が綺麗なものばかりだったんですけど、あの映画で初めて刀が完全に刺さったまま立ち回りをしているのを観て、“江戸に生きる”ってこういうことなんだなと思って。
それこそ役者の仕事は、スターと呼ばれる美男美女がさらに綺麗なメイクをしてもらって人前に出る仕事だと思っていたんですけど、そうじゃないことが分かった。
むしろ内臓を出すような『竜馬暗殺』を観たときに凄まじい興味を持ったし、役者は人間が普通は隠す部分をさらけ出す仕事なんだって知ったときに、自分に自信がない僕は適任だと思ったんです(笑)。自分が人に見せたくないと思っていた醜い部分こそが、実は役者の仕事の肝だと気づいたんですよ」