オリツルサイダーはどこで作られている?
赤い折鶴のエキゾチックなマークのサイダーは米軍兵の評判となり、土産品として大量に買い込まれたそう
4種類の中で、最も歴史がある「オリツルサイダー」は、昭和初期より昭和30年代半ばまで発売していた、キングオブ横浜サイダーといえる存在。歴史あるオリツルサイダーはどこで作っているのか。販売元である坪井食品の4代目社長・坪井裕平さんに話を聞いた。
「オリツルサイダーの発売は、昭和3年ごろ。元々うちは生麩製造が本業だったのですが、それがうまくいかなくなってしまい、それまでの機械を使いまわせるということでコンニャクの製造をはじめました。
しかしながらコンニャクはおでんやすきやきの季節以外、つまり夏期はあまり売れないんですね。そこで、夏になにかできないかと考えた初代社長が、粉を混ぜる攪拌機(かくはんき)や冷蔵庫などコンニャクの機械を再利用できるということで始めたのが、ラムネとサイダーの製造だったんです」
昭和20年代には横浜伊勢崎町野澤屋の屋上で販売も
第二次大戦で日本海軍の軍艦に積まれていたラムネ充填機 (瓶にラムネ飲料を入れビー玉でフタをする機械)。 現在も現役でイベントなどに登場することも
しかしながら、サイダー自体は昭和30年代になると次々と参入してくる外国資本(例:コカ・○ーラなど)の台頭により、製造継続を断念してしまう。ところがそれから数十年を経て、オリツルサイダーは見事復活。
坪井食品の4代目社長・坪井裕平さん(向かって右のペットボトルバージョンはY150の限定商品)
「2006年に新横浜のラーメン博物館さんの露店でラムネとサイダーを販売し始めてから徐々に製造量も増え、現在は折からの地サイダーブームで年間約4万本の出荷があります。
かつては中区の中心部にあった工場ですが今は繁華街になってしまっているので、サイダー製造は静岡県の飲料工場で行い、使用する水は静岡県の水ですね。横浜で製造しているわけではありませんが、サイダーの香料は当時のレシピを完全再現しています。
ちなみに、吉田町界隈に広がるバーズストリートの店では、オリツルサイダーを使ったカクテルも登場予定ですので、お楽しみに!」







