2024年10月3日(木)【横浜市中区・象の鼻テラス】
ヨコハマ海洋市民大学実行委員会は、令和6年10月3日(木)に横浜の海が抱える社会課題の解決に挑戦する市民を養成する講座、ヨコハマ海洋市民大学2024年度第5回講座「海と音楽~海辺のウクレレ教室」を開催いたしました。このイベントは、次世代へ豊かで美しい海を引き継ぐために、海を介して人と人とがつながる“日本財団「海と日本プロジェクト」”の一環です。
イベント概要
・ヨコハマ海洋市民大学実行委員会は「横浜の海が抱える社会課題を自ら考え、解決できる市民(海族・うみぞく)」を育成するヨコハマ海洋市民大学2024年度講座の第5回目を開催した(年10回開催)。
・開催日時:令和6年10月3日(木)19:30~
・開催場所:横浜市中区 象の鼻テラス
・参加人数:29名(会場受講生19名、オンライン配信なし、ゲスト3名、講師・実行委員7名)
・共催:海と日本プロジェクト、象の鼻テラス
・後援:(横浜市・海洋都市横浜うみ協議会)
海と音楽~海辺のウクレレ教室
講師の「初めまして。ベース奏者、ウクレレ奏者、ドローン操縦士の三刀流です」という言葉から講座が始まりました。まずはじめに講師の自己紹介動画です。幼少の頃の写真からビートルズのポールマッカートニーと同じベースを抱えた16歳の琢磨さん、そしてプロとしての米軍キャンプツアーや小林克也さんのザ・ナンバーワン・バンド、桑田佳祐さんのKUWATA BANDでのご活躍、その後のウクレレ演奏者・講師(ご夫婦でご活躍されています)、ドローン操縦士としての活躍を垣間見ることができました。動画に登場されるご高名なミュージシャンの数々もご本人の交友関係の広さを感じさせます。
琢磨 仁さんと湘南生まれの琢磨啓子さんのユニット Half Moon
https://www.e-half-moon.com/
【海とのかかわり】
講師は1981年に都内から藤沢市片瀬へ移住しました。当時は都内からの移住者が少なく好奇な目でみられたそうです。その移住を決めたきっかけは…「千葉屋のコロッケ、高清の干物、高橋豆腐店のお豆腐」だと会場を笑わせます。もちろん奥様が生まれ育った町だったということと、ご自身が育った昔の新宿の街並みに似た雰囲気があったからという大きな理由もちゃんとありました。昔の新宿に似た雰囲気というのは筆者には意外に感じられました(現存するお店は高橋豆腐店さんだけだとか)。
海辺の町で暮らすようになってからは夜型だった生活がすっかり朝型になったそうです。(早朝の海辺散歩は気持ちがいいですしね!)そんな海辺の街・湘南での暮らしではいくつかライフスタイルの変化があったようです。それを講師は湘南スタイルと呼んでいました。例えば都内で暮らす頃は、パーティーに参加していても、いろいろな方への挨拶を済ませてから退席するなど、あちこちに気を遣いながらの生活であったのが、地元湘南では同じようなパーティーでもそれぞれが自分のペースで自然に退席している。でも他人へのリスペクトは忘れないというような自然な立ち居振る舞いを学んだそうです。また、誰とでも仲良くなれる雰囲気など毎日を楽しむ生き方を身に付けられたと語ります。
毎朝、海岸を散歩しながら海を感じる生活を楽しんでいた講師ですが、暮らすうちに毎日海へ行かなくても海のバイブレーションを感じるようになり、ようやく海とともに暮らす人(湘南ローカル)としての実感が出てきたそうです(ただ、それには2年もかかったそうですよ!)。
【ウインドサーフィンとの出会い】
講師はウインドサーファーとしても海を楽しんでます。知人の紹介で始めたそうですが、なんと北風で沖へ流されて救助された経験がありながらも、たくさんのボードを手に入れ楽しまれています。「このボードの数だけ見ても気合の入り方が分かるでしょ?」と笑います。強風にも耐えられるような足を入れるストラップのついたボードが写真に並んでいました。
一方でウインドサーフィンの怖さ(自然の怖さ)にも言及します。自分の命を守るためには自然の変化を察知して行動すること、自然の中では自分自身の都合が優先される訳ではない(思いどおりにはならない)ことなどから自分自身の命を守ることについても学んだそうです。一度だけ竜巻が空から海面へ降りてきて、それがつながったのを見たときは慌てて海岸に向かったそうです。もちろん雷鳴が聞こえてもすぐに陸にあがると語っていました。
自然に触れることで、ウインドサーフィンだけではなく音楽の世界でも気づきがありました。音楽のお仕事をしている時もいかに“自然”であるかを考えていて、そうすることで道が自然と開かれていくそうです。この自然であることを意識するようになってからは生活や音楽制作がとても楽になっていると講師は語ります。
【ウクレレとの出会い】
講師は1989年マウイ島の楽器屋で1930年代製のウクレレに出会います(当時で50年物、現在では90年物ですね!)。その後オアフ島カイルアの楽器店で1960年代製のコンサートサイズのウクレレも手に入れました。当時はヴィンテージというブームもなく、安く入手できました。日本ではハワイアン音楽があまり好きではなかったロックミュージシャンもハワイの空気の中でハワイアン音楽を耳にすると日本で聞くのと異なりとても素敵に感じたそうです。
ここからはウクレレの歴史や種類、ウクレレの兄弟(変遷)の話が続きます。その中でハワイのウクレレメーカーである KAMAKA のお話が印象的でした。障がい者雇用を積極的に進めていて、視覚障がいのある方は聴覚や触覚に秀でているので音色の調整やウクレレの材料の厚みなどの調整・確認に優れた能力を発揮しているそうです。
日本のウクレレで有名なのは牧伸二さん(昭和世代なら分かる!)ですが、アメリカでもウクレレを広めたのはボードビリアン(コメディアン・軽演劇家)だというのも興味深いところでした。
ブラギーニャ(ポルトガル・マディラ島)→カバキーニョ(ブラジル)→ウクレレ(ハワイ)→チャク・チュク(インドネシア)などの変遷とその音色の違い、ハワイに伝わった当時は鉄弦だったものが錆びて困るのでナイロン弦に変わった話へと続きます。ウクレレという名称も諸説あり、弾いている手の動きが「ノミが跳ねる」ように見えるからと言う説が有名なのだそうです。ただ諸説あっても白黒つけないところもハワイらしいところだと講師は感じているようでした。
ウクレレを構えたときの弦の呼び方は下から1,2,3,4弦です。そして前述のように鉄弦だと錆びてしまうのでナイロン弦に変えた代わりに4弦の調弦が非常に難しくなってしまったため同じ音階の出せる1弦を使い1オクターブ高い音で使用することになりました。これによりいかにもハワイらしい響きが生まれました。のちには演奏方法の進化と弦の進化により4弦に低音弦を使用するLow-Gのウクレレも生まれました。この後は変わり種のウクレレなどの紹介があり、実際のウクレレ講座へと進みます。
【ウクレレを弾いてみよう】
講師は2000年にウクレレ教室の先生をやることになりましたが、それまでのウクレレ教室は5線譜を使ったもので譜面が読めない方にはハードルが高いものでした。そこで5線譜を使わない練習方法で教えていたところその話が出版社やtvk(テレビ神奈川)に伝わり、教本(ウクレレイージー)の出版や番組での教室などへとつながっていきます。今回の講座は基本の基本を改めて学び、30分で弾けるようになろう!というコンセプトです。まずは持ち方から始まります。写真のようにウクレレの持ち方を学びます。そして次の支え方もお腹に乗せるのではなく脇で抱えます。そしてネックの持ち方や弦の押さえ方、弦を弾き下ろす腕の肘関節を使った動かし方にもコツがありました。特に手首で弾いてしまうと指先が円弧を描いてしまい、弦のすべてに当たらないそうです。これがきちんと出来たらきれいな音で弾けるようになります!と講師は語ります。講師のパートナーであるシンガーソングライターの琢磨啓子さんがサポートに回り、会場内の受講生に見本の形を手ほどきしたり、弦の押さえ方や弾き方の指導をされていました。
弦を押さえる指につけられた番号とウクレレ弦の押さえる場所を確認しながらコード(和音)を響かせていきます。受講生は講師の話を聞きながら配布されたテキストや投影されたスライドを見て、3つのコードを練習し、最後に啓子さんの美しい歌声と一緒に演奏することになりました。文章にすると短いのですが、基本の持ち方から弦の押さえ方、弦の弾き方(肘を使って爪先でこするように弾く)など丁寧に教えていただき、本当に演奏をすることができました。演奏曲が終わった時、初めてウクレレに触った受講生が「弾けた!」と喜ぶ笑顔が印象的でした。講師に弟子入りしてウクレレ演奏者になるのも海族として素敵ですね!
【Hokule’aが教えてくれたAlohaの心】
ウクレレという素敵な響きと出会った後はハワイの伝統的航海法で海を渡るホクレア号(1976年造)のお話です。星や太陽、潮流を読みながら航海をする伝統的なカヌーにもハワイならではの英知が詰まっているようです。2007年にハワイから横浜へ着きました。13,250Km、約6か月の航海です。目印になる島もない海上を自然からの情報だけで航海するなんてなんと素晴らしいのでしょう。GPSもレーダーも使わないWay Finding(道順を見つける能力)と呼ばれています。
ハワイには日本から移民された方も多く、アロハシャツも着物の生地で作ったシャツが原点なのだとか。この年の航海はハワイの繁栄の礎を築いた日本人移民への感謝や原爆被害への追悼、ハワイ付近で起きた日本の練習船と潜水艦との事故への追悼なども目的でした。七里ヶ浜にも寄ってくれた際は住民を挙げてお迎えし、とても平和な瞬間を感じることができたと講師は語ります。
皆さんご存知の言葉「Aloha」は5つのハワイ語の頭文字から作られ、友愛や感謝、分かち合いを意味しています。5つの言葉とは「A=アカハイ・やさしさ」「L=ローカヒ・調和」「O=オルッオル・寛大さ」「H=ハッアハッア・謙虚さ」「A=アホヌイ・忍耐強さ」です。講師はこの言葉を聞いたときは日本人との共通性を感じたそうです。また「荷物をその辺に置いてもなくならない」ことや「公園やビーチでお酒を楽しんでも場が荒れたりしない」ことについて、ホクレアの関係者から「本当のアロハは日本にある」とも言ってもらえたことから、講師はアロハに「W・和の心」を足したWalohaを提唱していました。そしてワロハ・アロハを口にすると口角が上がり、脳みそが笑っていると感じ幸せ物質を放出するそうです。忘れずに口にしましょう。
【ドローンとの出会い~空撮動画を楽しもう!】
ドローン操縦の活動は、2016年のクリスマスにプレゼントでドローンをもらってからスタートしました。しかし全然うまく操作できず困っていたところに、藤沢の片瀬海岸でドローンパイロットに出会い上級機種の購入を決意して現在につながります。コロナ禍ではドローンを使って人命救助を行う海岸ドローンパトロールなどの訓練に参加し腕を磨き、さらには災害発生時の状況把握にドローンで地図作りを行う災害救援ドローン隊DRONEBIRDへ参加されているそうです。
この後は2編、講師の撮影された空撮画像をたっぷりと楽しみ講座の閉会を迎えました。大画面でのドローン撮影画像は自分が飛んでいるかのように感じさせとても気持ちのいいものでした。
筆者はこの空撮動画を見ながら講師がロックからハワイアン、音楽だけではなく文化について見識を深め、そしてホクレア号に導かれてアロハと日本の共通点を改めて感じるなど、音楽・文化・社会環境へと視点を高く持ち、あたかもドローンで俯瞰するかのように広げ続けてきたのだと感じました。
今年度ヨコハマ海洋市民大学は「さあ、海へ行こう。」というテーマで講座を開催します。実際の自分のアクションに落とし込めなければ学んだこともただの絵に描いた餅です。受講生の皆さんに自分自身のアクションが見つかることを願い、さまざまな講師にお願いをしています。また10回の講座の後には海族(うみぞく)による海族のための「海辺の文化祭」も予定しています。1年間一緒に学んで、自分のアクションを見つけましょう!
参加者の声
・初めてのウクレレで伴奏に参加できた!
・柔らかな語り口とフレンドリーさが湘南ローカルの生き方なのだと感じた。
・ドローンの操縦が人命救助など社会貢献に活かされているのに気づいた。
<団体概要>
団体名称:ヨコハマ海洋市民大学実行委員会
URL:https://yokohamakaiyouniv.wixsite.com/kaiyo/
活動内容:横浜市民が横浜の海が抱える社会課題を自ら考え解決に向けて行動できる海族(うみぞく)になるための養成講座を年10回(コロナ禍以前は年20回)開催している。座学だけではなく実際に海や海を学べる野外講座も開催している。
日本財団「海と日本プロジェクト」
さまざまなかたちで日本人の暮らしを支え、時に心の安らぎやワクワク、ひらめきを与えてくれる海。そんな海で進行している環境の悪化などの現状を、子どもたちをはじめ全国の人が「自分ごと」としてとらえ、海を未来へ引き継ぐアクションの輪を広げていくため、オールジャパンで推進するプロジェクトです。
https://uminohi.jp/
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