夏の風物詩といえば、花火大会。今年も全国各地で、たくさんの花火大会が開かれています。その中でも『全国花火競技大会 大曲の花火』(秋田)、『土浦全国花火競技大会』(茨城)と並んで、「日本三大花火」のひとつに数えられる新潟の『長岡まつり大花火大会』をご存知ですか?
広大な信濃川を舞台に、大迫力の花火が2時間超にわたって打ち上げられる、『長岡まつり大花火大会』。いったい何がそこまで人を惹きつけるのか? その理由を探るべく、今回はウレぴあ総研編集部が現地に乗り込み、大会の模様を取材してきました。先に言っておきます。長岡花火、ハンパじゃないです!
「長岡花火」は、長岡復興のシンボル
長岡駅に到着すると、駅前はすっかりお祭りムード一色です。まずはご挨拶も兼ねて、長岡まつり協議会・実行委員長を務めている藤井 芳さんのもとを訪ねました。
長岡花火の人気の秘密として、藤井さんがまず挙げたのが、環境のよさ。信濃川の広大な川幅のおかげで、尺玉(10号)の大きさを基本とし、正三尺玉+ナイアガラなど他では見られないド迫力のプログラムが実現可能になっているとのこと。その打ち上げ環境のよさには、花火師の方々もやりがいを感じられているのだとか。
中でも、もっともダイナミックなプログラムが「復興祈願花火 フェニックス」。横幅約2kmにもおよぶ大空間が花火で埋め尽くされる、長岡花火の目玉プログラムです。2004年に起きた中越大震災の復興を願い、2005年からはじまった「フェニックス」は、その後も復興のシンボルとして毎年打ち上げられ、今年で10回目の節目を迎えました。
また2005年は、1945年に起きた長岡空襲からちょうど60年という節目の年でもありました。そもそも長岡まつりは、この長岡空襲の慰霊祭としてはじまったもの。戦火や災害によって傷ついた人々に希望を与えようと、長岡の空を照らし続けているのが長岡花火なのです。
花火を上げる側の秘められた想い
実行委員長の藤井さんもまた、運命の巡りあわせによって長岡花火と関わることになりました。
「実は13年前にがんになりまして。手術を受けて結果が出るまでのあいだ、私は半年後に命はないと思っていました。当時わたしは49歳で、孫が生まれたばかり。もうこの先がないと思ったときに、これまでの人生を振り返ったんです。
そのときに『俺は何にも貢献してこなかったな、何のために俺は生まれてきたんだ』と、ずいぶん悩んで。それでなんとか命拾いしたあと、なにかに貢献できるようなことがしたいと思うようになったんです」
そんなとき、新しい実行委員長を探しているという話が舞い込み、これなら長岡の人々に貢献できるかもしれないと、引き受けることを決めたという藤井さん。長岡花火は見る側だけでなく、花火を上げる側にとっても大きな存在なのです。
藤井さんは最後に「長岡花火では、目で見るだけではなく『身体で感じる花火』を楽しんでいただけると思います」と、自信に満ちた表情で話してくれました。