1972年、太平洋戦争の終結から続いた米国の占領から解放され、沖縄が日本に返還された。その裏で、米国との返還交渉に尽力したのが外交官の千葉一夫だ。近年、新たに公開された資料で明らかになった千葉の姿に迫った宮川徹志のノンフィクション『僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫』を原案にした映画『返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す』が6月30日から公開される。主人公・千葉一夫を熱演した井浦新が、今なお続く沖縄の米軍基地問題の原点を描いた本作に込めた思いを語った。
-撮影前に沖縄に行かれたそうですが、どんなことを感じましたか。
一言で言えば、「怒り」です。沖縄の基地問題にはもともと関心があったので、今までも現地を訪れたことはありました。ただ、この作品が決まってから行った沖縄は、今までとは全然違って見えました。千葉さんが感じた怒りに焦点を当ててみて気付いたのは、やはり戦闘機のごう音のすさまじさ。出て行く時、帰って来る時…。頭がおかしくなるんじゃないかと。これはもう、公害と言ってもいいレベル。1日中、金網の前で過ごしましたが、本当に怖くなりました。でも、近隣の人たちはその感覚がまひしてしまい、当たり前のように受け止めている。その姿を見て、ものすごく心が痛くなりました。きっと千葉さんもそんなふうに感じたのだろうなと。
-その上で、千葉一夫という人物を演じるに当たって、どんなふうに役と向き合いましたか。
千葉さんは、僕が憧れる昭和の時代にいた数少ない豪傑の1人。演じさせてもらうことが決まったときは、まだ僕自身、身体的にもメンタル的にも、千葉さんを受け入れる器としては、不足していると感じていました。魂を削ってやらないと、千葉一夫という人を演じることはできない。ですから、普段の倍のスピード感と分量で役を作っていきました。ここまでやったら納得できるということはありませんが、とにかく千葉さんやご遺族に失礼のないよう、できることは全部やって、自分の心と体を整えていきました。
-具体的な役作りはどのように?
昭和の豪傑を演じるのは、芝居だけでは無理です。芝居では存在感を補うぐらいのことしかできません。ですから、まずは自分を追い込んで体を大きくすることを心掛けました。そうすることで、それに見合った呼吸や息遣いといった生理的な動きが生まれ、自然に声質なども変わってきますから。
-体作り以外では、どんなことをしましたか。
いくら頑張っても、千葉さんになれるわけではありませんが、とにかく読める資料は全て読み、千葉さんを知る人たちの生の声を聞きました。その上で、それらを一度全部、僕の体に入れて、発酵させていくように日々イメージを繰り返す。限られた準備期間の中でそれを続けて、自分の心と体をいかに最大値の状態まで持っていけるか。そういう勝負でした。
-そうした努力の結果、劇中の熱のこもった芝居が生まれたわけですね。
自然に生まれたという感じです。この時期、僕の中ではあのテンションがナチュラルになっていました。無理に「芝居をするぞ!」という気持ちでやっていたら、茶番になり、皆さんに見せられないものになっていたことでしょう。だから、いかに自然体であの芝居ができるか。それが一番大事なことでした。
-この作品は、NHKが製作したテレビドラマを再編集した映画版ですが、映画化に至った経緯を教えてください。
ドラマ版を作っているときから、柳川(強)監督と「これは、1回放送されただけで、多くの人に気付かれないまま終わってしまってはいけないのではないか」と話していたんです。そこから映画化という話が出て、そのためにはどうしたらいいのかと。NHKが作っているので、映画にするための手続きは監督に任せて、僕は宣伝をどこにお願いしたらいいのか、全国のどこの映画館で上映してもらったらいいのか、などのアイデアを出していきました。縁のある映画館には、自分から上映を持ちかけたところもあります。
-映画館で上映されることについてはどんな感想を持ちましたか。
素直にうれしいです。どんなドラマでも映画化されるわけではない中、成るべき作品が映画という形になった。僕も初めての経験です。映像作品は映画館でしか見ないという方たちにもちゃんと伝わる作品になったし、映画館で上映されることで、より多くの人たちに見てもらう機会が得られます。映画館であの戦闘機の音を聞いたら、皆さん何かを感じずにはいられないはずです。
-井浦さんは、本作の他にも社会問題を扱った作品に数多く出演しています。そこにはどんな思いがありますか。
僕自身、さまざまな事件や、戦争、社会問題を題材にした作品が好きなので、役者としてもやっていきたいという気持ちを持っています。出演することで、より多くのことを学べますから。そういうものと向き合うのはものすごく大変ですが、挑戦できるのは大きな喜びでもあります。その一方、関わった以上、その問題を知っていただくために、自分に何ができるかという責任感も生まれます。例えば、この作品でも、芝居の現場でたくさんのことを頂いた分、今起きていることに僕自身もしっかりと向き合っていかなければいけない。それが“けじめ”だと思っています。
-この映画は沖縄の基地問題解決に役立つでしょうか。
一つのきっかけになると思います。「アメリカ出て行け!」とか「基地を今すぐ全部なくそう!」ということを言っているわけではありません。それよりもまず、変えていくためにはどうしたらいいのか。そういう根本的な考えを、一人一人がもっと知って、意識することから始めないといけない。実際に行動している一部の人たちだけでは、なかなか大きな変化は生まれません。だから、変化の第一歩として、勇気が必要だということであれば、この作品の千葉さんの姿は、その勇気を生む原動力になるはずです。また、政府官僚の人たちにも見てもらって、自分たちの先輩にこんなに命懸けで行動した人がいることを知ってもらえたらいいですね。
(取材・文・写真/井上健一)