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 NHKで好評放送中の大河ドラマ「光る君へ」。第四十五回で、「源氏物語」を書き上げた主人公まひろ/紫式部(吉高由里子)は内裏を去り、旅に出た。それを知った藤原道長は、その権力を息子・藤原頼通(渡邊圭祐)に譲って出家。物語が最終盤に差し掛かった今、“出家”という大きな節目を迎えた道長役の柄本佑が、これまでの撮影を振り返ってくれた。


-第四十五回で道長が出家しました。柄本さんがそれまで伸ばしてきた髪を実際にそられたそうですが、撮影はいかがでしたか。


 出家するシーンの撮影は、不思議な時間でした。最初はなんてこともなく進んでいたのに、そった髪が落ちて手の甲に当たったとき、急に感極まってしまって。一昨年の6月ごろから伸ばしてきた髪を一気にそったことで、その間過ごしてきた時間を振り返らずにはいられませんでした。


-道長の出家の理由については、どのように捉えましたか。


 出家の理由について道長は、まひろの不在を指摘する妻の倫子(黒木華)に「休みたい」と語っていました。そういう地に足のついたせりふを書かれる大石(静/脚本家)先生はすてきだなと。まひろが都を去ることへのショックや政治的な思惑など、道長にはいろんな思いがあったはずですが、かっこつけたことを言わないんですよね。そんなふうに「立派」とは程遠い人物として道長を描いていただき、演じる上でも非常に助けられました。


-第四十五回で道長は、まひろから賢子(南沙良)が自分の娘である事実を打ち明けられましたが、道長はそのことに気付いていたのでしょうか。


 賢子の件に関しては、チーフ演出の中島(由貴)さんから、「道長は気付かない」というお話があったので、僕自身は気付いていないつもりで演じていました。ただ、完成した本編では音楽やアングル、編集などによってニュアンスが微妙に変わるので、僕が意図したほど「気付いていない」ようには見えないかもしれません。だからその辺は、ご覧になった皆さんが、自由な解釈で楽しんでいただければと思います。


-第四十四回「望月の夜」のラストでは、道長が「この世をば わがよとぞ思ふ…」という有名な「望月の歌」を詠む場面がありました。これまでは「道長が自分の権勢を自慢したおごり高ぶった歌」と捉えられてきましたが、第四十五回で新たな解釈が示されたことが新鮮でした。


 今回は従来と異なり、「今夜はいい夜だ」と言葉通りに歌ったという解釈になりました。第四十四回で道長は、自分の家族や藤原公任(町田啓太)からも自身に関する苦言を呈されて、どんどん追い詰められていくので、今までのような意味合いで詠むのは難しい、と演出の黛(りんたろう)さんとも話していたんです。撮影では、僕が感じた歌の意味だけを、ポンと置くように演じたかったのですが、「かっこよく歌いたい」という雑念が邪魔をして、かなり苦戦しました。友吉(鶴心/芸能指導・考証)先生も「それが一番難しい」とおっしゃっていました。


-その直後、まひろと視線を交わした道長の心境は、どのようなものだったのでしょうか。


 これまで演じてきて気付いたのは、公の場で道長がまひろを見るときは、「自信にあふれている」というよりも、「ここから救い出してくれ」といった心境なんです。だから、その場面もそんな思いを込めて演じていた気がします。

-朝廷の実権を握った道長は、剛腕な政治家だった亡き父・兼家(段田安則)に近づいているように見えたこともあります。以前、兼家との類似性について「やっていることは同じでも、出発点となる気持ちが違う」とお話しされていましたが、出家で一区切りついた今、その点についてどのようにお考えでしょうか。


 すべてが終わって実感したのは、父や兄2人が亡くなり、その地位を継いだときから、権力を振りかざすことは道長の性に合わず、心底嫌だったんだな、ということです。本来なら、政治の実務は兄たちに任せ、自分はそのそばでのんびり過ごしたかったのではないでしょうか。その点でいえば、道長は自分を頼ってくる(異母兄の)藤原道綱(上地雄輔)の自由さに憧れていた部分もあるに違いありません。だからこそ、仲良くやれたのかなと。そういう意味では、道長は兼家とはまったく違う、というのが僕の結論です。


-内裏に上がったまひろの元を訪ね、たびたび愚痴を吐いていたのも、その裏付けといえそうです。


 そうですね。道長は、まひろの顔を見ることで、ほっと安心していたのでしょう。何かと理由をつけてまひろの元に通っていましたが、まひろが内裏にいるだけで心強く、支えられていた部分は大きいと思います。


-道長が物語を動かすことが多いにもかかわらず、まひろがきちんと主人公として立っていることも本作の特徴です。演じる上で、その点を意識していた部分はありますか。


 意識していたわけではありませんが、気付いたら、道長は「対まひろとその他大勢」という構図になっていました。大石先生もそれを意図して脚本を書かれていたと思います。特に、まひろが内裏に上がってからは、「道長は、まひろのことになると、周りが見えなくなる」と、ト書きに書かれていることもあって。それは、倫子の前に出たとき、僕が迷わないように、大石先生が気を遣って書いてくださったのかなと。


-というと?


 例えば、倫子も同席したうたげの場で、まひろの歌に道長が見事な返歌を詠み、2人の関係がうわさになったことがありました(第三十六回「待ち望まれた日」)。あの場面も、歌を詠んだ後、お互いを意識して顔を見合わせるくだりでは、「俺もやるだろ、という目」と、ト書きに書かれていたんです。つまり、まひろしか目に入らない道長は、自分のミスに全く気付かない。そんなふうに、「対まひろとその他大勢」という構図に、自然となっていった感じです。


-1人の人物をこれほど長く演じる機会はめったにないと思いますが、この経験は柄本さんにとってどんなものになりましたか。


 今回の経験の価値については、10年くらい経ってようやく実感できるのかなと思います。ただ、この現場で準備期間を含めて2年近く過ごして培われたスタッフの皆さんとの関係から生まれた“厚み”のようなものを、今後、例えば1日だけ参加するような現場でも出すことができないかと考えています。1日限りの現場の場合、「完成した芝居をしよう」という欲が出てしまいがちですが、2年続くと「この場で完成しなくてもいい」と思うことができ、それによって芝居に豊かさが生まれるんです。初対面の方たちとの現場でも、そういうことができたら…と。そのために、2年かけて培ったものを凝縮する方法を模索しているところです。


(取材・文/井上健一)