猿が導いたから猿島?

「猿島」と呼ばれるようになったのは、こんなエピソードがあったからだという一説がある。

(建長5年5月。房州から鎌倉へと船で向かっていた日蓮。しかし嵐にあって前が全然見えない。一心にお経を唱えだす日蓮。すると白い猿が現れ、豊島と呼ばれる島へと導いてくれた。この出来事を気に、豊島は「猿島」と呼ばれるようになった)

 


お粗末すぎる漫画 拡大画像表示

凄すぎる・・・日蓮上人!!

また、猿島の様子は江戸時代から記録が残っている。

 


江戸時代の猿島 (横須賀市埋蔵文化財報告書第9集より転載) 
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明治時代の猿島(横須賀市埋蔵文化財報告書第9集より転載) 
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1955(昭和30)年に撮影した猿島航空写真(横須賀市埋蔵文化財報告書第12集より転載) 拡大画像表示

どの図も猿島の特徴がよく出ていて歴史の深さを実感する。

そして、現在のキニナル猿島の見どころともなっているのは明治時代の建物。レンガを積み上げた兵舎やトンネルなど貴重な遺産が島のあちこちに鎮座している。

「来年、明治時代に建てられた猿島砲台と千代ヶ崎砲台が国に“史跡”として指定される予定です。日本の歴史を知るためのとても貴重な資料なんです」と嬉しそうな藤野さん。島への思いが伝わってきた。

続いて、投稿にあった猿島に幽霊話があるのかどうか、お聞きする。
「私は見たことないですけど、こんな話を聞いたことがありますね」と苦笑い。左様でございますか・・・。以下聞いたお話。

ある雪の降った日の朝、ある人が島へ入ると、うっすらと雪の積もった浜に、人の足跡がついていた。動物の足跡ではない。紛れもなく人の、しかもそこそこ大きな子どもの足跡が続いていた。夕方から朝まで、島に人はいなかったはずだ。夜に子どもが、たった一人でいることはあり得ない。

子どもって・・・おかげでちょっと涼しくなりましたけども・・・子ども・・・

と、ここいらで出港時刻に。藤野さんありがとうございました。

 


外に出ると、人の列が! 拡大画像表示

満員で乗れなかったら、臨時便が出ることも。