『アナと雪の女王』の記録的大ヒットで、一時の低迷を完全に脱したかに見えるウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ。トップのジョン・ラセターは、ピクサー時代からヒット作を連発する "生きる伝説" のような人物です。

約30年前、鬼才・ラセターの人生を変えたのは、宮崎駿氏の初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』でした。第27回東京国際映画祭のイベント「ジョン・ラセターが語るクール・ジャパン」の詳細レポートをお届けします。

 

ジョン・ラセターが愛する日本のアニメーション=宮崎駿作品

ジョン・ラセターは、ピクサー、ディズニー、ディズニートゥーンの3つのアニメーションスタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサー。

ディズニーアニメーションのトップは、大の日本好きとして知られています。

特にスタジオジブリは、『トイ・ストーリー』シリーズや『ファインディング・ニモ』を生みだしたピクサーと、会社ぐるみの付き合いをしているほど。

今回も、スタジオジブリ鈴木プロデューサーの依頼で、講演を行うことにしたとのこと。

そんなジョン・ラセターが彼の愛する日本の文化、彼の愛する日本のアニメーション、つまり宮崎駿作品について語りました。

 

ラセターの人生を変えた映画は宮崎駿監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』

幼い頃から『マッハGoGoGo』など日本のマンガに陶酔していたラセターは、アニメーターを生業とすることを決意し、カリフォルニア芸術大学(カルアーツ)に進学、ティム・バートンなどの同級生と共にディズニーの伝説的なアニメーターからアニメーションを学びました。

1981年に渡米した東京ムービー新社の藤岡豊と出会ったラセターは、そこで『ルパン三世 カリオストロの城』のフィルムを貰いました。

講演では『ルパン三世 カリオストロの城』のカーチェイスシーンを上映。大好きなシーンを大画面で観たラセターは「That is awesome!!!」と興奮していました。

さらに、ラセターの妻ナンシーもこの映画を愛していると言い、彼らを結び付けたのは『ルパン三世 カリオストロの城』だと語りました。

 

日本でのブリキのおもちゃとの出会いが『トイ・ストーリー』を生み出す

ラセターがはじめて日本に来たのは1987年、ピクサー初期の短編アニメーションを携えて来日しました。

そこでラセターが出会ったのはネオンの輝く街、何でも売っている自動販売機、食品サンプル、そして新幹線。

日本の文化に興奮していたラセターはそこで、ブリキのおもちゃと出会います。

北原照久氏のブリキのおもちゃを研究したラセターは、これにインスパイアされて『ティン・トイ』を制作し『トイ・ストーリー』に繋がりました。

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