亡くなった方の悪口を言うのは、陰口の延長のようなものではしたない。
だが世の中には、あえてバランスをとったほうがいいときもある。ひいきの引き倒し、という言葉があるとおりである。エアコンの取り付けじゃないんだから持ち上げればいいってもんじゃない。
立川談志が2011年11月に亡くなり、追悼のための本や雑誌記事が相次いでいる。その中で異彩を放つのが、二代目快楽亭ブラック『立川談志の正体』である。ブラックは2005年に落語立川流を自主退会してフリーになった。その元弟子による、歯に衣を着せぬ師匠・立川談志論の本である。暴露本のようなタイトルだが、決して卑しい心根で書かれたものではない。立川談志という稀代の名落語家の芸に敬意を表しつつ、人物像を美化しすぎた伝説が捏造されそうになっていることに警鐘を鳴らす意図で書かれた本なのである。
執筆意図が真面目なものであることは、談志の芸を評した「家元の落語」の章を読めば伝わってくる。談志没後、テレビでは代表作の名演の例として2007年暮れの「芝浜」が放映された。ご覧になった方も多いだろう。この噺を「酒呑みが大好きな酒を呑むのを辞めたがために小市民的な幸せを得ましたなんて話のどこが面白いのか」「あまりの臭さに聴いていて恥ずかしくなる。江戸じゃねえぜ。家元の「芝浜」がいいって奴は田舎者だってのはここだ」と否定する。
代わりに評価するのは「黄金餅」「富久」「鼠穴」といった「金に執着する人物を描」いた噺であり、「『らくだ』のように自分の中に屈折した恨みを持っている人間も凄」かったとも。その他「饅頭怖い」や「弥次郎」のナンセンスなギャグも評価している。21世紀に入ってからの談志は、人間の主観が表現の限界を飛び越えて「ナニガナンダカワカラナイ」境地に入ってしまったイリュージョン落語を追及していたのだが、そうした晩年の作品群を「理が勝ち過ぎ」と否定している。全般的に「業の肯定」という理論を掲げていた30代までの談志を評価し、21世紀以降の芸を認めない傾向がこの著者にはあるのだ。この点、談志の芸は進化していたと主張する立川志らくと真っ向から意見が対立している。
ブラックは師匠・談志に吝嗇・小心の一面があったと盛んに書きたてているので、故人の信奉者には不快に感じる可能性がある。そのことはあらかじめお断りしておくが、本当に談志が好きな人ならそうした一面をも「らしいなあ」と楽しめるのではないかと思う。みっともないところだってあるさ、人間だもの(みつを)。
立川談春『赤めだか』の書評を兄弟子の談四楼が週刊誌に書いた際、談志がレストランから爪楊枝を盗ってきたと書いて激怒した(本当のことだから)エピソードだとか、料亭で森繁久弥の悪口を言っているところを本人に聞かれて慌てた話だとか、みみっちいことがいっぱい書かれているけど、可愛らしいものだと思う。そんなセコな一面があるのは当たり前のことだし、談志はそれを隠して無理矢理持ち上げなければいけないほどの小人物ではなかったはずである。ブラックは自民党入りしたことのある談志は体制擁護者になってしまった、とも腐していて、それにはさすがにむっとしかけたのだけど、まあ、怒らない怒らない。だってあの石原慎太郎と親友だったことは事実なのだから。
私が好きなのは、ブラックが若いころに談志から破門され、大阪で桂三枝の預かり弟子となっていたときのエピソードだ。大阪にかつての師匠である談志がやってきて、ブラック(当時は桂サンQ)は三枝の命でその世話をすることになる。談志は、自分から言い出して元弟子に噺の稽古をつけてくれるのである。演目は「お血脈」だ。
――[……]この稽古が素晴らしかった。「お血脈」は地噺、登場人物が会話するだけでなく、落語家本人が地のまましゃべるところが多い噺だ。談志はきっちり演るべきところはきっちりと教え、演者自身のしゃべりの部分は「ここはお前が調べろ。ここはお前が考えろ」と空白した。演者自身のセンスで面白くもつまらなくもなる噺を、決して談志のコピーにさせないためだ。[……]
「せっかく大阪にいるんだから、上方落語をたくさんおぼえろ。そして三年我慢しろ。そうしたら俺の政治力でいきなり落語協会の二つ目として戻してやるから」
稽古がすんだらいきなりそう言われた。こっちからは一言も東京へ帰りたい。また師匠の弟子に戻りたいと言っていないのに、そう言ってくれるやさしさがうれしかった。
そう、談志は優しい人だったのだ(だから時として優柔不断にも、小心にもなる)。そうした一面も、もちろん筆者は漏らさずに書いている。
正直不満もある。志の輔・談春・志らく・談笑といった、現代の立川流四天王と呼ばれる弟弟子に対して、ブラックは本当は言いたいこともあるのではないか(特に意見が対立している志らく)。彼らではなく、直弟子では最後の真打ちとなったキウイに対して攻撃を行っているのは、正直言ってみっともない。また、急いで本にする必要があったとはいえ、中途に安めの福袋のような「詰め合わせ」のくだりがあるのも感心しない。そうした欠点はあるものの、私は本書を読む価値のある一冊だと感じた。
最後に「あとがき」のしめの部分を紹介する。談志を富士山に喩え、ブラックはこう書いている。
――なるほど富士山は遠くから見れば美しいが、登ってみたら岩と馬糞だらけでつまらない山だ。家元(談志)も客として見ている分にはいいが、弟子になったが身の因果、アラばかり見えてくる。でも口惜しいかな、日本一なんだよなあ。