しかし、論理とは裏腹に、この契約結婚は、自由恋愛を理想とするサルトルに都合良いものであり、ボーヴォワールにとっては苦悩の始まりでした。しかも、世間に称賛されているサルトルの名声を汚すわけにはいかないので、嘘いつわりのない生活どころか、心を押し殺したものとなったのです。

「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」2011年公開©PAMPA PRODUCTION-FUGITIVE PRODUCTIONS-MMVI

すぐにボーヴォワールはすぐに耐えられなくなって、“愛には貞節が必要だ”と訴えますが、サルトルは受け入れません。2人の意見は何処までも平行線なので、喧嘩の日々が続きます。

そんなボーヴォワールも元教え子のルミ(映画上の役名。現実ではアメリカ人作家、ネルソン・オルガノのこと)熱烈な恋に落ちます。そして真摯に自分だけを愛してくれるルミとサルトルとの間で心が揺れます。

しかし、サルトルがボーヴォワールの恋に嫉妬し、普通ではいられなくなります。そして、ボーヴォワールにその想いを打ち明けたのです。サルトルの気持ちを聞きながら、ボーヴォワールは、自分たちが“似たものどうし”であることに気付き――。


このお話は、哲学的な題名がついていますが、実は、2人がこの気持ちに至るまでのラブストーリーです。ボーヴォワールの心を主体に描かれているので、サルトルとルミの間で揺れ動く彼女の心をセンチメンタルに物語っています。
 

結婚に必要なのは「契約」ではない

結婚に本当に必要なものは、“お互いに歩み寄れるかどうか”かもしれません。
一方的な説得は、相手のためではなく、自己愛に過ぎません。

だから結婚の前には、次の2点を考えなければならないのでしょう。

1) 心の底から損得抜きで、相手のために尽くし、自ら進んで歩み寄って行けるほど相手の存在が必要かどうか?
2) お互いの存在によって、お互いが高め合うことができるのか?

この2点を自分の心に尋ねてみる必要があります。

サルトルとボーヴォワールの場合、お互いの愛と苦悩によって、相手を知り、本当の自分を知ることで、お互い歩み寄っていきます。その歩み寄りが、お互いの哲学的思考を形成しました。そして2人は、後世に名を残すほどの哲学者になりました。また、2人は、“似た者同士”であったのです。