『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』 
©Makoto Sasaki

何かと何か、誰かと誰か、誰かと自分を比較せずにいられないのが人間の性(さが)なのかもしれない。悲しいけれども……。比較の末、生まれるマジョリティとマイノリティ。その境界線をテーマのひとつにした映画『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』が2月14日からアップリンクで公開。マジョリティとマイノリティの境界線についてちょっと考えてみませんか?


マイノリティとマジョリティの“ボーダーライン=境界線”って何? 誰がそれを決めているの? なにをもって健常者=マジョリティ、ハンディキャップのある人=マイノリティといえるのか? どこかタブー視されがちなテーマに果敢に挑むひとりの映像作家がいる。

映画監督・佐々木誠。視覚障害者による映画作りを目指した『INNERVISION』、障害者の性に果敢に切り込んだテレビドキュメンタリー『バリアフリーコミュニケーション 僕たちはセックスしないの!?できないの!?』など、彼は賛否両論を巻き起こす作品を発表し続けてきた。最新作は、ある意味、“境界線”をめぐる旅を続けてきた彼の集大成。果たして、彼が導き出した“境界線”の答えとは?

 

始まりは小学校時代、仲良しグループへの違和感

身体的障害、視覚障害など、様々なハンディキャップを抱える人と付き合い、彼らとともに映画を作ってきた佐々木監督。いわゆる健常者と障害者の間にある微妙な隔たりに興味を抱いたきっかけは、小学生時代の体験にあるかもしれないという。

「親の仕事の関係で、僕はとにかく転校ばかりしていた。クラスに馴染んだところで、すぐ転校の繰り返し。だから何か学校に自分のホームとうか居場所がない。自分の意識がどこかマイノリティなんです。で、転校を重ねていくと世渡り上手になるというか。まあ、これは自分の性格もあると思うのですが、クラスっていくつかのグループに分かれてるけど、どこにも属さない。悪がき連中との付き合いもあれば、いじめられっ子とも普通に接する。でも、周りはそれをあまりよしとはしない。“それってなんで?どっかに属さないと自分は認められないの”とすごく違和感を覚えていたことに最近になって気づいて。その体験がいまにつながっているのかもしれません」