モノがあふれるいま、「これだけは手放せない」と胸を張って言える道具は、どれくらいあるでしょうか。
暮らしの達人たちに話を聞きながら、数ある選択肢のなかで「なぜそれが手元に残り続けているのか」を、その人の価値観や暮らしとともに紐解いていきます。
今回話を聞いたのは、ROOMIEの連載「みんなの部屋」にも登場してくれた、現代陶芸家の金子良さん。

金子良さん
陶器だけでなく、家具や照明など、自分でつくれるモノはできる限りDIYしてきた金子さんが、「10年以上、買い替える理由が見つからなかった」と語る、年季の入った1本のペティナイフについて話を聞いてみました。
WÜSTHOF(ヴォストフ)のペティナイフ

「これ、見た目のわりに重いんですよね(笑)」と金子さんがぼやきながらキッチンから取り出してきたのは、ドイツの老舗刃物メーカー・WÜSTHOF(ヴォストフ)のペティナイフ。
ヴォストフといえば、世界のトップシェフたちも愛用する、ドイツ・ゾーリンゲンの名門ブランドです。金子さんが愛用しているのは、ペティナイフ・シェフナイフ・シャープナーの3点セットのうちの1本。

ペティナイフは長年の使用によってロゴは少し薄れ、細かな傷をまといながらも、独特のずっしりとした重みと、今なお現役のシャープな佇まいを保っています。
パリのデパートで偶然見つけた3点セット

10年以上前にパリで購入したナイフ2本とシャープナーのセット
「じつは僕、そもそも普段はそんなに料理をしないんですよ」と、まさかの事実を取材陣に打ち明けながら笑う金子さん。
金子さんとこのナイフ3点セットとの出会いは、今から約10年以上前、留学のため18歳で訪れていたフランス・パリでのことでした。
当時はパリでの一人暮らしをはじめたばかりで、自炊といっても毎日電子レンジでパスタを茹でて食べるような生活(笑)。せっかくだから包丁くらいは買おうと、パリのデパートをブラブラしていたんです。
ヨーロッパは日本ほど包丁の選択肢が多くないですし、フランス製のクリストフルみたいな超高級ブランドは高すぎて当然手が出ない。そんなときに、たまたまこの3点セットが目に入ったんです

パリに滞在していたときの金子さん
値札に書かれていた価格は3点セットで約80ユーロ(当時のレートで1万円前後)。「わりと安かったし、失敗するのも嫌だし、これでいいや」という、至ってシンプルな理由で購入した道具でした。
こだわり尽くして選んだわけではない。この偶然の出会いが、結果として10年以上続く関係のはじまりとなったのです。
小回り=正義です
金子さんのキッチンにおいて、このペティナイフの役割は極めて明確。

さっきも言ったとおり、本当に大した料理はしないので、お肉を切るときはキッチンバサミでチョキチョキ済ませちゃう。このナイフの出番は、もっぱら野菜や果物を切るときですね。
キャベツをザクザク切るのも、朝食のリンゴやオレンジの皮を剥くのも、これ1本。ハサミとペティナイフで料理がほとんど完結しちゃうから、大きなナイフは本当に出番がないんです(笑)
と、大きなシェフナイフがピカピカである理由を話しながら、金子さんは手際よくオレンジを切り、即席のフルーツサラダをつくってくれました。

「料理はそんなにしない」と話す金子さんですが、そのスムーズな手つきには、使い慣れた人ならではの軽やかさが見て取れます。
ペティナイフは小ぶりなサイズ感でありながら、適度な重みがあるため、食材に刃を当てるだけでスッと吸い込まれるように切れていきます。大きな三徳包丁をわざわざ出す必要もなく、このコンパクトなペティナイフ1本で、金子さんの食卓のほとんどが完結しているんですね。
ドイツ生まれの堅牢さが、使い続ける理由
金子さんがこのナイフを使い続けられる最大の理由は、ヴォストフというブランドならではの圧倒的なタフさとデザインにあります。
ドイツ料理に用いられる「チョッピング(肉と骨を一緒に叩き切る調理法)」を前提にしたモノづくりを行うヴォストフのナイフは、刃から柄へと続く鋼材が非常に分厚くつくられているのが特徴のひとつ。

また、一般的な包丁に見られる、柄と刃との“つなぎ目の段差”がこのナイフにはありません。なめらかに一体化しているため、水分や汚れがつなぎ目に溜まらず、サッと洗うだけで常に衛生的。
一時期、本格的な国産の鉄包丁を使ってみたこともあるんです。でも、柑橘類を切っていたら錆びちゃって。
扱い方を知らなかった僕のせいではあるんですが、その手間を考えたときに、結局このナイフに戻ってきちゃいました。壊れないし、汚れないし。刃物として全然文句が出てこない

手入れに意識を割かなくても、常に使う人の用途にパフォーマンスで応えてくれる。ドイツ生まれのペティナイフが持つ質実剛健な品質こそが、金子さんがこのナイフを手放せない本当の理由です。
気になるところ

取材中、ヴォストフのナイフが現在だとどのくらいで売られているのかを調べたところ、モデルによって違いはあるものの、金子さんが使うペティナイフだと1万5000円程度。
10年以上前だったから、3点セットがあの価格で買えたのかもしれませんね。物価高の影響もあるんだろうけど、いまこれが数万円とかで目の前にあったら買わないと思う(笑)
と正直な金子さん。そんな金子さんのフラットな視点もまた、モノ選びのリアルさを物語ります。

一緒に買ったセットの大きな包丁は、日本のキッチンではデカすぎて、ずっと眠っています。このペティナイフ自体に不満はないですが、強いて言えば、これと大きい包丁との「中間くらいのサイズ」があったなら、もっと使い勝手がよかったんだろうなぁ
これからの暮らし

「テクノロジーは新しい方が絶対に仕事がはかどるので、iPhoneやPCは頻繁に買い替えてます」と金子さん
パリからの帰国後も都内を点々と移り住む金子さんに、このナイフとの“これから”について伺ってみました。
引っ越すたびに捨てて、また買っちゃうのが僕の性格なんです。でも、このナイフは買い替える理由がまったくないので絶対残りますね。
チョッピングっていう料理法が得意なブランドって話もはじめて聞けたので、もうちょっといろんな料理にチャレンジしてみようかな(笑)

便利なものはどんどん更新していく。その一方で、変わらず使い続ける道具もある。
その両方が自然に共存していることが、金子さんの暮らしらしさなのかもしれません。
壊れず、当たり前のように働き続けてくれるから、手放せない。モノがそばに残り続ける理由は、こだわりや思い入れだけではないのだと、この1本のナイフが教えてくれました。
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