家族は自分の最強の味方であり、家は最も頼りになる砦である。
そう言われて無条件に頷ける人は今、どのくらいいるのだろうか。
家族と呼ばれる人たちに心を許すことができない境遇は決して特殊なものではない。それどころか家族が最大の敵だと感じてしまう人は世の中に意外なほど多いはずだ。そういう人々にとっては、家は自分を囲む檻と感じられるだろう。安らぎを求めることなど、望むべくもないだろう。
現代作家の中には、家と家族さえも否定しなければならない孤独というありようを見据え、そこから出発しなければならないと考える者が少なくない。
おそらく、窪美澄という人もその一人である。
『晴天の迷いクジラ』は窪美澄のデビュー第2作だ。
窪は2009年に短篇「ミクマリ」で第8回「女による女のためのR-18文学賞」を受賞して作家としてのデビューを果たした。「ミクマリ」は男子高校生と、彼にコスプレをしてのセックスを求める主婦との不倫関係を描いた作品であり、同作に始まる連作短篇が2010年に『ふがいない僕は空を見た』として単行本にまとめられた。おそらくは執筆順に配置されたと思われる同書の収録作を読むと、窪の力量が短期間に飛躍的に向上していることが判る。特に白眉といえるのは四篇目の「セイタカアワダチソウの空」だ。低所得者層の集合住宅で暮らす高校生「ぼく」が、自分ではどうにもできない運命の網に絡めとられながらも淡々と日々を送っていくさまが描かれた傑作である。窪のこの短篇集は第24回山本周五郎賞を受賞した。また一般読者からも強い支持を集め、第8回本屋大賞の第2位に選ばれたほか、2010年に「本の雑誌」が選んだベスト10の第1位にも輝いた。新人の第1作としては最高の評価を得たと言っていい。
それゆえに注目を集めた第2作だったが、窪は十分な余裕をもって周囲の期待に応えてみせた。全4章からなる小説で、第1章「ソラナックスルボックス」ではデザイン会社に勤める田宮由人が主役を務める。北関東の農家の次男として生まれた24歳、彼が故郷を捨てて東京に出てきたのにはそれなりの事情があった。由人は父親に似て自己主張の少ない性格をしていたが、正反対の母親は彼を軽んじ、兄や妹ばかりを溺愛した。そのために彼が家の中に居場所を見つけられずにいることを父は見抜き、由人に東京でやりたいことを見つけることを勧めたのである。父ははっきりと言った。「母さんから離れろ」と。
東京でデザイン専門学校に入った由人は、そこでミカという可愛い恋人に出会い、なんとかデザイン会社にもぐりこむことにも成功する。しかし、そこからが悪夢の始まりだった。会社が経営不振に陥ると、由人の生活からは一切の余裕が奪われていく。すべての時間、体力を会社に吸い取られていくような生活。なかなか会うことができないから、という理由で恋人は浮気をし、由人を見放す。すべてが悪い方向へ進んでいき、会社が本当に危ないらしいという話を聞いたとき、すでに由人の心のバランスは壊れ始めていた。
第2章「表現型の可塑性」はその会社の経営者である中島野乃花のエピソードだ。漁師の父と魚の缶詰工場で働く母の間に生まれた彼女は、しかし天性の絵画の才能の持ち主だった。学校の教師に勧められて本格的に絵を習い始めた野乃花は、ある日美術館を訪れたことで自分が抱いている気持ちを再確認する。しかし彼女も、ふとしたことがきっかけで運命を狂わされてしまうのである。そこには女性を家の囚人としようとする、旧い因習の論理が働いていた。
『ふがいない僕は空を見た』は、家族というものの両面を見ようとした作品集だった。収録作「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」は母親の支配から抜けきれず、電子機器による監視という形で妻を支配しようとする男の話。しかし巻末の「花粉・受粉」では、出産という局面に大いなる可能性を見出そうという姿勢も見受けられた。おそらく窪は、安易な形でイエ・家族というものの評価を行うことを避けようとしている。それは両義的なものなのだ。
『晴天の迷いクジラ』の第3章には、文字通りイエの中に娘を監禁することで安心を得ようとする母親が登場する。主人公の正子は、その息苦しい愛情の犠牲者だ。由人、野乃花、正子。三人のイエや家族から安心をもらうことができない登場人物が揃ったところで、小説は大きく転回する。最後の「迷いクジラのいる夕景」は、人の拠りどころであると同時に監獄にもなりうるイエとの距離のとり方を模索する章である。
イエとの相克は日本文学の古典的なテーマであり、それに正面から挑んだ姿勢は評価されていい。小説の終わりはやや甘めで、通俗的なところに着地したと思う。そこが私は減点対象だと考えるが、同じ箇所に安堵を覚える読者も多いだろう。これはぜひ読んでみて、それぞれが評価を下してみてもらいたい。「揺れ」のある作家の現在形として、私は非常に誠実なものを感じた。その点だけは大いに強調しておきたい。次回作も楽しみにしている。
一つだけ注文をつけるとしたら、「ミクマリ」と続篇の「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」を続けて読んだときに感じた、「この人は何をやってくるかわからない」というぞくぞくする感じを大事にしてもらいたいと思う。窪美澄、まだまだ引き出しの中は見せ切っていないはずだし、さまざまな路線の小説を書ける人のはずだ。さらにその先、がぜひ見てみたいです。