森博嗣『相田家のグッドバイ』は、夫婦の結婚という形で誕生した一つのイエがこの世から姿を消すまでを描いた小説である。相田家は、モデルを作者自身の生家からとったと思われるような描かれ方だ。一種の私小説としてこれを読む人もいるだろうが、現代におけるイエのありようを描いたものとして私は受け止めた。
語り手の相田紀彦は大学に奉職する研究者だ。父親の秋雄も自分と同じ建築学科の出身で、母の紗江子と結婚した。早い段階で「区別をするために、姓ではなく名前で記すことにする」という説明がされ、小説の中では彼らは名前で呼ばれることになる。相田夫婦は結婚の後に紗江子の実家と折り合いが悪くなってしまったために出奔し、都会に出てきたのだという。本当の語義とは違うと思うが、二人はそれを「かけおち」と認識している。夫と妻、二人だけの生活を秋雄と紗江子が始めたとき、相田家はこの世に生を受けたのだ。
第1章で作者は、相田家を「始めた」秋雄と紗江子の人となりを紹介する。個人の設計事務所を創業した父は「無口で飄々として」おり、「複雑」でわかりやすい特徴を人に見せるわけではないのだが、考え方は合理的であり、少なくとも個人事業の経営者としては成功していた。秋雄はまた、工作に関心を示した紀彦に設計図の引き方を示し、大きな影響を与えてもいる。製図板に新しい紙を貼り、展開図を描く。それを切り抜いて組み立てると、一台の電車が出来上がったのだ。この体験によって紀彦は「ものを作るという行為」についての理を得ることになった。
その秋雄と比べると、紗江子は目立った特徴の多い人物だった。その最大のものは、なんでもしまいこんでしまう、ことである。彼女の収納癖により、家中が次第に納戸化していく。紗江子以外には、いや彼女自身にも法則性が理解できていない、巨大なモノの迷宮である。その収納ぶりには隙間に対する恐怖のようなものを感じる。
――あるときは、駅弁の釜飯のあの小さな釜が三十個くらい入った箱を見つけた。釜は釜だけで並べられ、蓋は蓋で重ねて入っていた。全部同一の方向を向いてきちんと収まっている。また、ある段ボールの中には、ポケットティッシュが百個くらい詰まっていた。気がつくと、その隣の段ボール箱も、さらにその奥の段ボール箱も、ポケットティッシュという小さな文字が書かれていた。開けて中を確かめたわけではなかったが、たぶんぎっしりと詰まっているのだろう。
後の話になるが、彼女がしまいこんだ通帳のような貴重品を探すために、秋雄は紗江子が備忘用に書きとめた暗号を解く羽目になる。それは「東の鳥の声がする、他国の歌姫が見つめる先」といった、非常に独りよがりなヒントしかないものだった。
何事にもこだわりがなく飽きっぽい秋雄と、自身の嗜好に執着する紗江子は対照的だ。紀彦は筋道が立ったことを言う秋雄の方に共感を抱きつつも、両親の双方に強く依存することなく成人し、大学教員として独立していく。それは秋雄と紗江子の双方が、自分は早死にするというはずという固定観念を持ち、子供に早くから自立を促していたからでもある。紀彦と学生結婚し、二人の子供を産むことになる智紘は、義父母に対して解消不可能な違和感を覚える。しかし紀彦は妻のそうした感情をとりなしたり、解消しようとしたりはしない。それは旧・相田家(紀彦が智紘と設けた家庭を新・相田家とすれば)の問題だからだ。作中ではそうと明言されていないが、家産として継承できるものは動産や不動産といったモノのみであり、前の世代が抱いた価値観や倫理観を受け継ぐことはできないのだ、という極めて割り切った考えを作者は持っているのではないかと感じた。
やがて秋雄と紗江子にも老いが忍び寄ってくる。第二章の後半以降は、その退潮の模様が描かれていくのだ。二人の人間がしつけや学習によって得ていた高い精神性や教養といったものは、引き潮の中で失われていく。あるときは死という現象によって急激に。またあるときは病によって緩やかに。潮が引ききった後には何も残らず、ただその人がいた痕跡があるのみなのだ。そのことが極めて簡潔に表されていく。
――英美子は、灰の中に黒く焦げた金属のボルトが落ちているのを見つけた。それは、紗江子の最後の手術の跡で、大腿骨をつなぎ止めていた、虚しい役目のボルトだった。
はじめに書いたように『相田家のグッドバイ』は一つのイエの誕生から消滅までを描いた年代記である。自分と、自身が身にまとっているもろもろのものが永遠に続くように感じている読者にとっては、誰もがいずれ直面するはずの死の瞬間をつきつけられ、身の引き締まる思いのする小説だった。さらに言えば、イエという単位においても家族は一人ひとりが個にすぎず、他の成員とは本質的に分かたれて存在しているという当たり前の事実が、本書には書かれている。家族の紐帯とは、決して先験的に成立するものではないのだ。夫婦という間柄でもそれは同じである。だからこそ小説の幕切れ、紀雄が智紘に対して発した言葉が重みを持つ。