東大理IIIに3兄弟を入れたママ、高校も塾も通わせずに京大に3兄弟を入れたパパ、そして高校でビリだったのに、女子学生を慶応に入れた塾の先生。
巷では子どもたちを有名大学に入学させるまでの日々を描いた物語が話題を呼んでいる。中にはベストセラーとして映画化されている作品まである。
どの作品もキーワードになるのは「普通の子どもが献身的なサポートを受けて高学歴といわれる大学に入学した」ということ。うちの子どもも同じように育てたらいい大学に入れるかもしれない! という熱い思いを持った父母はもちろん、近頃では孫の教育にまで口を出すという祖父母にまで売れているという。
ここまで学歴にこだわった作品が売れているという現状。
やっぱり高学歴という看板があれば生きやすい世の中なんじゃないだろうか?
就職だって、出身大学や大学院は履歴書で通過するかしないかの判断基準になっているだろうし、先に述べた恋愛だって女子のお茶しながらのだらだらトークで「“イケメンで3流大学出身”か“ブサイクで一流大学出身”かどっち選ぶ?」なんて究極選択みたいな話をしているのを聞いていると「やっぱり将来の稼ぎとか考えたら高学歴に越したことないよねー」なんて打算的なトークに花を咲かせているのをみかける。
仕事も私生活も高学歴であることに、やっぱり越したことはないのかもしれない。
東大出てても、早稲田出ててもバカはバカ。
しかし、だ。
東大・京大には及ばないものの、早稲田という大学を卒業したが、気が付いたらブラック企業を渡り歩いていた人間がいる。「早稲田出ててもバカはバカ」というノンフィクションの著者・円山嚆矢だ。
早稲田卒業という学歴さえ手に入れれば、何とか自分の人生は開けるだろうと考え必死に勉強し、一浪の末入学。しかし、入学をしたはいいが目的が「早稲田入学&卒業」だったので、入学と同時にアルバイトに明け暮れる日々。
とりあえず奨学金をもらっていたので、テストだけは何とかいい点数を取るものの、勉学から何か身に付くものを得ることはなく、将来の明確な目標も在学中に見つけることはできなかった。
そして気が付いたら目の前の「おいしい話」に飛びつき、IT企業だと思って入社した会社が「ITのノウハウを駆使した当時は最先端のシステムを使用した風俗」だったという顛末…。彼はその後もブラック企業を渡り歩いた。
目的が「いい大学に入学する」では、やはりダメなのだ。
いや、そこで入学して何か心を動かされるような人との出会いや、学問に出会えば別なのかもしれない。でも大学入学をゴールに青春時代を過ごしてきた人は、ある意味、燃え尽き症候群となり、その後の目標を立てられない状態になってしまうのかもしれない。