彼の解任がマスメディアで報じられたとき「日本の企業には独自の風土があり、日本型経営になじめなかった」という一方的な説明が行われた。無慈悲なコストカッターであり首切り屋だったという人物評まで付け加えられた。
失地回復を願って彼が日本で運動を始めた際には、根も葉もない噂が流された。
曰く。
「オリンパスのカメラ部門をすべてリストラして、二万人の首切りを行うつもりだった」
「中国や韓国勢と組んで日本の技術を奪おうとしている」
「株価の下落につけこんで、ハゲタカファンドと共に乗り込んでくる」
「PwC(プライスウォーターハウスクーパースジャパン。コンサルティングサービス法人)に調査を依頼したときに、持株をすべて売り払ったらしい」
これらのすべてを彼、マイケル・ウッドフォードは否定する。緊急出版された『解任』(早川書房)は、その自己証明のための書だ。
彼の名前をご存じの方は多いだろう。2011年4月に精密機器メーカー、オリンパス株式会社の代表取締役社長に就任したウッドフォードは、半年後の10月1日に同社のCEOを兼務することになる。だがそれから約2週間後の10月14日、彼は取締役会でその任を解かれ、平の取締役へと降格されるのだ。直後にオリンパスが出したプレスリリースには「マイケル・シー・ウッドフォード氏と他の経営陣の間にて、経営の方向性・手法に関して大きな乖離が生じ、経営の意思決定に支障をきたす状況になりました」とある。「大きな乖離」とは何か、「経営の意思決定に支障をきたす状況」とはどういうことか、具体的な説明はないが、大きな事件が明るみに出た現在では、だいたいの想像はつく。
すでに報道されているところによれば、当時のオリンパスはバブル崩壊時の損失を補填するために長期に渡って「損失計上の先送り」をしていた。そして2008年には投資失敗を理由とする特別損失を計上し、本当の理由を隠したまま過去の負債を清算しようと図ったとされているのである。とるにたらない小企業(ウッドフォードによれば〈ミッキーマウス・カンパニー〉と呼ぶ慣習があるのだという)に対して実態とはまったく違う高額のM&Aを仕掛けることは、一般投資家を誤った方向へと導く背任行為でもあり、この一件への反社会勢力の関与も疑われている。
『解任』によれば、こうした一連の醜聞をウッドフォードが知ったのは社長就任後の2011年7月末のことだった。会員制のビジネス誌『FACTA』がすっぱ抜いた記事を読んだのだ。以降も同誌はオリンパス関連の記事を掲載していくが、社内でこのことをウッドフォードに報告する者は皆無だった。前社長で代表取締役会長の菊川剛により、厳重な緘口令が敷かれていたからだ。それまでウッドフォードと菊川の間には信頼関係があり、2人は互いに「マイケル」「トム」と呼び合う関係だった。しかし菊川からは一切働きかけがなかった。業を煮やしたウッドフォードは、ついに自分から面談を求めることを決意する。
8月3日、菊川と財務担当の副社長である森久志を訪ねたウッドフォードは、2人から予想外の冷たい対応を受ける。
――会議室に入ると、菊川と森がすでに私を待っていました。ふたりの前には寿司の大皿が、そして私の席の前にはキオスクで売っているようなわびしいツナサンドが置かれていました。あれは意図的な侮辱だったのでしょうか? 私が寿司を好きなのは彼らも知っていたはずです。別に食べものにこだわっているわけではありません。食欲などなかったのですから。とはいえ、それは何かしらのゲームのはじまりに思えました。
そう、それは始まりだったのである。以降、すべてを明るみに出して会社の膿を取り除こうと奔走するウッドフォードは、取締役会から対話を拒まれ続けることになる。菊川と森の解任を求めても受け入れられない。そして待ち受けていたのは、事実上の追放処分だった。
寿司の一件で少し示されているとおり、素顔のウッドフォードは気さくな親日家だという。英国出身の経営者だが、実は彼にはオックスフォードやケンブリッジ卒といった自慢できるような高学歴はない。家が貧しかったために16歳から働き始め、経済学や経営学については独学で教養を身につけた、文字通りの叩き上げだからだ。オリンパス元専務で、ウッドフォードの後見人を務める宮田耕治は彼を「グッドナンバー1」の人材と呼ぶ。それはかつてウッドフォードの上司だったレディホフ氏が口にしたことに由来する言葉だ。
「経営トップは修羅場の舵取りだ。きれいごとだけで何とかなるほど単純ではない。だからこそ企業は間違ったことをやらないこと、正しいことをやりとおせることが大切になる。グッドナンバー1とグッドナンバー2の差は、この点に関するスタンスの強靭さの差である。修羅場に臨んでも、絶対に揺るがない、強靭な軸を持つこと、これが経営トップに求められる最大の資質だ」
オリンパス事件は、企業がいかに揺らいだかという実例だ。長年の隠蔽工作が露呈したとき、日本企業は一様に傷を負った。一事が万事、同じようなスキャンダルがまだ隠されているのではないかという疑いの目を世界中から向けられることになったからだ。ウッドフォードは自ら「グッドナンバー1」として振る舞い、危機に対応しようとした。そうした人物が権謀術数によって追放され、いわれのない悪評にその身を晒されることになったのである。どうか、彼の名誉回復のための叫びに耳を貸してもらいたい。