今回はまったくためにならない小説をお薦めしたいと思う。今出ている「プレジデント」は特集が「仕事リッチが読む本 バカを作る本」で(すごいタイトルだ)、成毛眞氏と土井英司氏がビジネスマンに「どんな本を読んでいるか」を回答してもらったという内容のアンケート結果を見て「仕事ができないから、こんな本を読んでるんだ」と断定するというものすごくおもしろい対談をしている。普段ビジネス雑誌を読まない私でも買ってしまいましたよ。その対談の場に「えーっと、こんな本を読んでまして」と持っていったら、何を言われるか判ったものではない。そのくらいためにならない小説だ。いや、だからこそおもしろいんですが。くだらないって、なんて素晴らしいことなんだろう!
それは丹下健太『仮り住まい』である。丹下は2007年に『青色讃歌』で第4回文藝賞を受賞してデビューした新鋭で、これが3冊目の著書である。無職の男性がいなくなった猫を捜すという話の『青色讃歌』にはまだ「しみじみとする」とか「何かを語っているような気がする」とかいう「いい話」要素があったのだが、第2作『マイルド生活スーパーライト』で完全にフォースの暗黒面に落っこちた。これは徹頭徹尾くだらないことしか書いていない、駄目男子の小説だったのである。安定した仕事に就けないばかりか、彼女にも振られてしまった男・上田が主人公だ。「あんたとの未来を川の上流から流れてくる葉っぱに喩えるとすると、それがまったく見えないからもう無理(大意)」という説明で彼女に振られてしまった上田は、夜の川で友人たち(同じく彼女なし)に葉っぱを流してもらい、それが本当に見えないのか(大意)という実験をしようとする。思い立つやつも思い立つやつだが、つきあう友人も友人だ、という無意味な実験だ。この場面がすばらしくばかばかしく、丹下健太は私の中で若手トップクラスの注目株となった。なんの意味もないことをまじめくさって書く才能というのは、得難いものなのです。
さて、『仮り住まい』である。一口で言うとこれは「面倒くさがりの小説」だ。会社員で三十路が目前となった前田は、ある日大学からの友人である、みきが暮らす家で一緒に寝泊りすることになる。
別に色っぽい話ではない。細かく書くと長くなるので省略するが、なぜか前田は、みきの家にいるヘビの世話をしなければならない事態に陥ったのである。元来ヘビが嫌いで世話などしたくない前田は、みきにその肩代わりを頼む。そのため、みきに言いように顎で使われる立場になってしまうのだ。みきは自分が言いたくないことをまったく口にしようとしない人間だし、事態の鍵を握る前田の弟・あきひろは言うべきことも言わないで済ませようとする性格だ。その2人に関わったことがそもそも前田の不運だった。
前田にはけいこという恋人がいるので、彼女にみきとの同居を知られないようにしようと、事実を隠そうとして細かい嘘をつき続ける。そのため、さらなる弱味をみきに握られてしまうことになるのである。別にやましいことは何もしていないのに! 嫌いなヘビの世話を頼まれただけなのに! 面倒くさがって説明の手間を惜しんだせいで、たいへんなことになってしまったわけなのである。
こうしてややこしい立場になってしまった前田が、なんとかヘビの世話をせずにすませたい、けいこに余計なことを知られないようにしたい、と考える小説である。そのために彼が思いついた対処案がまた別の種類の面倒くさい事態を引き寄せていく。
ご覧いただいたとおり、ここには「面倒くさいことを回避しようとするとさらに面倒くさいことになる場合がある」という以上の教訓めいたことは何も書かれていないし、感動するような名言が含まれているわけでもない。つまりは「面倒くさがりは面倒くさがる」という当たり前のことが淡々と書かれているだけなのだ。これがたいへんおもしろい。
丹下は日常会話(「あれ、よくね?」「ないわー」レベルの無意味なやりとり)を書くのが非常に巧い。普通、小説の中の会話は現実世界のそれとは似て非なるものである。普段の生活の中で飛び交う会話をそのまま起こしたものを小説に使うことは難しい。人間が普段かわしている会話は、まったく論理的ではなかったり、相手の言うことをほとんど聞かずに自分の言いたいことだけを言うような、一方的なものだったりするからだ。そこでデフォルメを施す。そのデフォルメの技術が、作家の個性を形作るわけである。丹下の場合は、ちゃんとデフォルメしているのに現実そのままを切り取ったように見える部分がある。それを利用して「言わなければいけないことも言わない面倒くさがり」の小説を書いたわけだ。それがすごい。誰かがちゃんと説明すれば三分で解決するような事態を、いい年した大人があれこれ回りくどくひねくりまわす、というだけの話で1本の作品を書きとおしてしまったわけである。ああ、なんて何もない小説なんだろう。