和子は人に心を許すことが少ない性格だったが、木之内の積極的な態度は彼女の頑なな態度さえもとろかせていく。やがて和子は、木之内に恋愛感情を抱くようになっていた。自身の容姿には何の幻想も抱いていない和子だったが、木之内には不思議と気に入られたようでもある。仕事の打ち上げという名目で終業後に彼と飲み歩くことが多くなり、やがて当然の結果のように男女の関係になった。
だが陽気な性格で発展家の木之内の背後には、他の女性の影もちらつく。和子は穏やかならぬ思いを抱きながら日々を過ごすのだ。そうした木之内の不実な態度が、あるとき決定的な打撃をもたらした。動揺し、彼を失うことに怯える和子は、木之内の心をつなぎとめるために美容整形手術を受けようと決意する。それが実は、後藤和子が咲良怜花に変わるための見えない第一歩だったのである。
後藤和子には特別なところは何もない。にもかかわらず彼女が伝説の作家になりえたのはなぜか。それが本書の中心にある関心事だ。和子は読書家であるとして木之内に賞賛されるが、彼女がこれまでに読んだ本のベストスリーを彼に聞かれて答えたのは、『赤毛のアン』『シャーロック・ホームズの冒険』『華麗なるギャツビー』の3冊だった。良い趣味ではあるが、際立った個性を示す選書ともいえない。誤解を怖れずにいえば平凡であり、その3冊の題名を聞いて感心する木之内は純朴に過ぎる。
この平凡なカップルの間で一つの化学反応が生じ、そこから非凡な才能を持つ作家が生まれていく。いや、デビューしたばかりの咲良怜花は凡庸な新人に過ぎないのだが、あることがきっかけで脱皮を果たし、頂点へと昇り詰めていくのである。そうした「作家が作家になる」過程を詳細に描いたところに本書の魅力がある。
作家と編集者の関係、文壇という世界の中に漂う異様な空気などについても触れられており、興味を持つ読者は多いだろう。そういうゴシップ的な関心で読んでも一向にかまわない作品である。私は「作品は水道の蛇口をひねるようにすれば自然に出てくる」と豪語する鴻池という作家の描かれ方に関心を持った。現実にこういう作家はいると思うのだが、モデルを推測することは避けておく(読者のみなさんはご自由にどうぞ)。彼との対比で咲良怜花の才能のありようはさらに際立つことになった。巧い脇役設定である。
冒頭に書いたように、貫井の姿は本書の中で茫洋として見えない。咲良怜花が自己意識として語る言葉も、どの程度作者自身のものかは判然としないのだ。躍起になって作者自身の影を追い求めようとするならば、作品に深く没入するしかない。作者の思うつぼである。過去の貫井はどちらかといえば「攻め」の姿勢の目立つ作家だったが、これは蜘蛛の巣のような、もしくは蟻地獄のような、「受け」の作品だ。貫井徳郎、新たな武器を手に入れてさらなる進境を示すか。