「団長はいい意味で目立ちたがり屋」(義彦)
――そして在学中におふたりはバンド活動を?
義彦:僕は当時Sicsというバンドを組んで、池袋サイバーや高田馬場AREAに出ていました。
団長:あれはオリアンで組んだんだっけ?
義彦:そう。
――オリアンとは?
団長:1年の後期から「オリジナルアンサンブル」って言って、学校内でバンドを組んでライブして、最終的にレコーディングする授業があるんです。それでそのまま義彦は外でバンバン活動するようになって、あんまり学校に来なくなったよね。
俺も当時NoGoDの前身というべきDagger Remainというバンドを組んだんです。
義彦:Dagger Remain、クオリティ高かったよね。
団長:高くねえよ(笑)。
義彦:たしかいきなりステージで脱いだりしてたよね。
団長:授業でも最終的に上半身脱いで審査員のテーブルで駄々をこねて……。そのときに卒業コンテストで、あまりにもすごかったから「勢いが凄かったで賞」みたいな賞を特別に作ってもらって、受賞しました。
義彦:団長はいい意味で目立ちたがり屋というか、「ボーカル」って感じがした。僕はボーカルなんだけど引っ込み思案で、heidi.でも後ろの3人に助けられているような感じなんです。
団長の場合はお客さんの目をひくステージングをしてる。昔からすげえなって思います。
団長:Dagger Remainはいわゆるメタルのフィールドで活動していたんですけど、2004年に解散したんです。その理由が最終的に化粧するかしないかで意見が割れて……。
それで俺は化粧をする側にいったんですけど、その理由が在学中に、義彦と一緒にシンガーソングライティングの授業を受けていたんですよ。俺の作ってる曲を横で聴いていた義彦が「濱守の作る曲は自分ではメタルっていってるけどヴィジュアル系だよね」ってポロッと口にしたんです。
そんときまで自分のことをメタルと思ってたんで、それで「えっ?」となって。
義彦:メロディがちゃんとしてるんですよね。俺はさっきもいったようにLUCAとか好きだったんで。
――義彦さん的にはメロディが立っているイコール、ヴィジュアル系みたいなところがあったんですか。
義彦:イントロがどんだけ激しかろうがメロディがちゃんとしてる曲が好きなので、その時も「メタルよりヴィジュアル系の方がはまってるんじゃないかな」って言った気がします。
団長:そのとき作ってた曲がNoGoDの『櫻』っていう曲なんですよ。
義彦:えっ本当? 今鳥肌立っちゃったよ俺。
団長:マジマジ。それで「別にヴィジュアル系に対してツンケンする理由もねえなあ」と、義彦の何気ないひとことによって自分の中でヴィジュアル系に対する偏見や抵抗がスッと消えたんです。
――そしてDagger Remain、Sicsを経て団長さんはNoGoDで、義彦さんはheidi.での活動を開始していくのですか?
団長:それで、俺たちがNoGoDを始めたすぐ後に、Sicsが解散しちゃうんだよね。
義彦:2006年の頭くらいかな。
団長:「このあと義彦はどうするんだろう」って気になってた。
義彦:一番悩んでいた時期かな? 卒業して21、2歳になって周りも就職をしだすし、それで自衛隊の試験を受けるんですよ。うちの姉、元自衛官なんで。
それで姉ちゃんに紹介してもらったのもあり試験を受けて合格したんですけど……。その冬に俺以外のheidi.のメンバーに出会うわけです。
団長 そうなの!
義彦:で、メンバーは1年半くらいボーカルを探していたらしくて、声をかけてもらって『街角慕情』という曲を歌ったんです。
それで年明けに「もう1回来てくれ」と言われ、最後の音楽の練習だと思って、すごく練習してスタジオに行ったんです。そしたら「ぜひバンドを組みたい」となり。「自衛隊受かってるしどうしよう」って(笑)。
でもやっぱり音楽やりたいってすぐ思ってしまったので、姉ちゃんと母ちゃんに頭を下げて……、家族は1年間口をきいてくれなかったですね(苦笑)。出だしはそんな感じでした。