それでは座談会スタート!

――本日はゼロ年代のヴィジュアル系&バンギャルカルチャーを語ってみようという試みなのですが……。

キリ:まだあの頃は「デモテープ」だっけ?

みるく:一瞬「デモMD」ってありませんでした? シドやメリーが出してたような…。

チノフ:それに最近はめっきり見なくなったけど「CDエクストラ」ってありませんでした? パソコンに入れると動画が見られるという。最後に見たのはどこだろう…ゴールデンボンバーかな?

キリ:見なくなったね! そもそもパソコンを持ってる子が減ったし、YouTubeがあるから必要ないのかな?

初期の「Cure(キュア)」。

みるく:それにゼロ年代っていっても前半と後半って全然違うよね。(スッと『Cure』の表紙を出す)

一同:うわ~~~! 懐かし~~~~!

キリ:そもそも『Cure』が創刊されたときは衝撃だったよね。最初の頃はマイナーなバンドもカラーで載せてたし、びっくりしたの。

みるく:そう、私が好きなRenterer en Soiが最初に載ったフリーペーパーじゃない雑誌は「Cure」だったと思う。だから「ありがとうございます」って思った。

キリ:「SHOXX」では白黒だったけど、カラーで載ってるのは「Cure」くらいっていうバンドは当時多かったですよね。だから邪険にはできない雑誌ではあったんだけど。

みるく:でも「中の人バンギャルだろ~」って思ってました(笑)。

――この頃の「Cure」というと、ちょうどこの表紙の大日本異端芸者時代のガゼットなどのPS COMPANY所属のバンドやヴィドールなどのUNDER CODE所属のバンドがたくさん載っていたイメージがあります。

キリ:PS COMPANYといえば、私的にはDue le quartz とかKagrra,とかだな。

「TRIBAL ARIVALL TOUR」だったかなあ、お客さんもバンドのカラーにみんな染まってる感じで、Kagrra,のお客さんは皆和風だったり、夏にライブやろうものならみんな浴衣でめかしてくるし。バンドとお客さんがリンクしてる感じ。今はどのバンドのファンかってバンドT以外だと一見わかりにくいもんね。

チノフ:私はアリス九號.『春夏秋冬』をみて「なんてルックスがいいんだ!」って驚いて。ガゼットも「大日本異端芸者」からだんだんthe GazettEになっていく過程で垢抜けてきてて、Kraもそれまでにないメルヘンな雰囲気で。それでわーっと惹かれていきました。

そうそう、当時は田舎に住んでいたんですけど、『NIL』『STACKED RUBBISH』の時期のガゼは田舎の学生にとって、ラルクやGLAY、ラファエル以来の「ヴィジュアル系の波」だったんです。地元のヤンキーがカラオケでガゼ歌ってるみたいな。田舎まで浸透した久々のバンドっていう気がしました。そのあとにシドの波が来るんですけど。

参加者の皆さんが持ってきてくださったフライヤーたち。

――たしかにキリさんのおっしゃるように、こういう格好していたらこのバンド、レーベルのファンってわかるような雰囲気、ありましたよね。UNDER CODEに所属しているバンドのファンはジーザスディアマンテを着ている…みたいな。

みるく:そもそもUNDER CODEが拠点としていた関西のバンギャルは派手好きだったんです。それで盛り髪やマンテがしっくりきたんじゃないのかな。

キリ:でもUNDER CODEの前身レーベルのマティーナの頃はみんな結構普通じゃなかった? 地下線になるとみんな派手になっていったような。

みるく:ステージの上は「古き良きコテコテのヴィジュアル系」なのにフロアは姫ギャル・可愛ゴー(可愛いゴージャスの略)っていう。