イリーナ・ルング イリーナ・ルング

今や、発表されている公演の中止やキャスト変更が日常茶飯事のオペラ界だが、新国立劇場で4月18日(日)に初日を迎えるドニゼッティの《ルチア》は、予定されていた主役二人と指揮者の来日が実現した。ルチア役を歌うイリーナ・ルングに、14日間の厳しい待機(隔離)を経てついに翌日からリハーサルというタイミングで話を聞いた。ロシア出身だがイタリアに住み、ヨーロッパの一流歌劇場を中心に活躍しているソプラノだ。
「オペラ歌手にとって独りで過ごす時間は珍しくありません。家族から離れ、旅から旅へというのが私たちの生活です。声を節約するために誰とも話さないで何日か過ごすこともあります。しかも私が住んでいるイタリアはロックダウンを繰り返し、何ヶ月もの間ほとんど外出ができない状態でしたから、ここ東京での隔離期間はそれほど苦になりませんでした。普通に聴衆が入っている劇場で最後に歌ったのは去年3月のことです。それ以降は極端な人数制限か、無観客のストリーミングで歌ってきました。観客を前にして再び歌える喜びは大きいです」
ベルカント・オペラと呼ばれる、高度な歌唱技術が必要なレパートリーを歌える数少ないプリマ・ドンナの一人である。
「ベルカント歌手は舞台の上でまったく動かずに歌だけ歌ったとしてもドラマを表現できねばなりません。コロラトゥーラという装飾歌唱を始めとする多彩なテクニックで、主人公のドラマを歌で表現するのです。《ルチア》はベルカント・オペラの最高峰。特に正気を失ったルチアが歌う〈狂乱の場〉と呼ばれる場面は、歌手にとってはもっとも難易度が高いですが歌い切った時の喜びは格別です。お客さんにとってはロマンチックな場面も多いですし、最高に美しいメロディーにあふれているので、オペラを知らない方にも魅力がよくわかる作品だと思います」無事に初日が開いたら日本の春を楽しみたいそうだ。
「それから大好きなラーメンを食べて(笑)、日本の化粧品を買いたいです。ロシア女性は美容にはとても気を使うんですよ」
劇場は舞台と客席のエネルギーの交換の場だという。
「世界の演劇に改革をもたらしたといわれているロシアの演劇人スタニスラフスキーは『劇場はクロークから始まっている』と言ったそうです。観客は劇場に入る時に、“日常”というコートを脱ぎすてて別世界に入っていくという意味です。ぜひ劇場に来てください。皆さんにお会いできるのを楽しみにしています」

インタビュー/記事 井内美香