「負けたのは残念だけれど、悔いはない。あいつらがここに連れてきてくれた。あいつらはたいしたもの。いい8年を過ごさせてもらいました」とは、日本シリーズ後の落合博満監督の言葉だ。指揮官の残したコメントは、飾らない本音だろうが、野球を知る者たちにとって、「あいつら」を「落合監督」に替えた方がしっくりいく。

11月21日付日刊スポーツ東京本社版3面

   

 










ご存知の通り、日本シリーズはソフトバンクの8年ぶり5度目の日本一で幕を閉じた。「ソフトバンク絶対有利」の下馬評を覆し、7戦までもつれた接戦となった。

戦前の予想には理由がある。ソフトバンクは88勝46敗10分、2位に日本ハムに17.5ゲーム差をつける独走優勝を果たした。しかも、交流戦でも18勝4敗2分で優勝。セ・リーグを含む全11球団に直接対決で勝ち越したのだ。

チーム成績を見ても、ソフトバンクは550得点と90本塁打こそリーグ2位だが、チーム打率.267、180盗塁、チーム防御率2.32はリーグトップ、351失点、51失策もリーグ最少である。

対する中日はというと、419得点もチーム打率.228も83失策もリーグワーストながら、チーム防御率2.46の投手陣の粘りでリーグ制覇を手繰り寄せたのだった。落合監督でなければ、ソフトバンクと接戦に持ち込むのはもちろん、その前にペナントレースの優勝戦線でいつ脱落してもおかしくない成績だったと言える。

日本シリーズでの中日の成績も、チーム打率.155は1955年の南海の.187を下回るワースト記録。34安打、9得点もシリーズワースト記録を更新し、チーム2本塁打も最少タイである。7戦目まで持ち込んだだけでも、たいしたものである。

日本シリーズでの落合監督は、シーズンでは見られないほど饒舌に語った(日本シリーズ前のクライマックスシリーズ勝ち抜けを決めた時には、「こんなもんだろ」とだけ話して記者会見室を出るそぶりを見せたが、「これで帰るわけにいかないな」と続け、試合を振り返った自虐ネタは最高だった!)。一戦を終えるごとのコメントを読むと、指揮官のブレない姿勢が垣間見える。

初戦を敵地・福岡で取って、気の早いマスコミにナゴヤドームでの胴上げの可能性を問われると、「勝負はそんな簡単なものじゃない」とピシャリ。さらに「選手はその日一日、悔いを残さないように野球をやってもらいたい」と続けた。

翌日2-1で連勝しても、「先のことを考えるといいことがない。1試合1試合やっていくだけ」と、隙はない。

ナゴヤドームに舞台を移した3戦目、3戦連続2得点でソフトバンクに2-4で敗れても、「らしいと言えばうちらしい試合だな。そんなに動きが悪いわけではないから大丈夫だよ」と話した。

本拠地で連敗を喫しても、「ここまでトータルで考えて2勝2敗は御の字。はなから最後の三つと思っているんだ」と語り、さらに王手をかけられても、「三つ負けられるうちの三つ負けたんだ。うちの選手をよく表している。追い詰められないとその気にならないからいかん」と動じなかった。

福岡で逆王手となるイーブンに持ち込むと、「これが本当の天王山だよ。マスコミが言っているのとは違う。勉強しな」と、「天王山」を連発する記者たちをユーモアをまじえながら揶揄した。

最後の最後までヒリヒリした緊迫感に包まれた7試合を戦いながら、超然とした雰囲気を漂わせていた落合監督。フロント陣と一部のマスコミには不評だったが、第7戦終了後に谷繁、和田、森野、荒木らが男泣きするほど、信頼感を得ていた。この日本シリーズは敗れはしたが、落合監督の凄味を改めて知るシリーズとなった。 

あおやま・おりま 1994年の中部支局入りから、ぴあひと筋の編集人生。その大半はスポーツを担当する。元旦のサッカー天皇杯決勝から大晦日の格闘技まで、「365日いつ何時いかなる現場へも行く」が信条だったが、ここ最近は「現場はぼちぼち」。趣味は読書とスーパー銭湯通いと深酒。映画のマイベストはスカーフェイス、小説のマイベストはプリズンホテルと嗜好はかなり偏っている。