9月後半から10月にかけて、ソウル中心部で多くの日本人を見かけるようになった。
3年近くオンラインでしか聴けなかった日本語が懐かしく、私は不躾にも何人かに「日本語が懐かしいです」と話しかけてしまったが、みな「ありがとうございます。2年半ぶりです。うれしいです!」のように返してくれた。
ウレぴあ総研のコラムでも何度か取り上げた鍾路3街(チョンノサムガ)の大衆酒場では、私のオンライン講座を視聴したという女性2人に声をかけられ、相席してマッコリで乾杯した。
今回は、鍾路3街から南東方向に10分ほど歩いたところにある乙支路3街(ウルチロサムガ)駅前の生ビール天国の歴史を振り返ってみよう。
ここにはノガリ(姫鱈=スケソウダラの幼魚)の干物を炙ったものを肴に生ビールを飲ませる店が集まっていて、ノガリ・コルモク(横丁)と呼ばれている。
ノガリ横丁の歴史
1980年代~2012年
明洞エリアから地下鉄で1駅の乙支路3街駅前。雑居ビルの裏手に広がるノガリ横丁はもともと、平日は周辺の工場や商店で働くおじさんたちが昼間お茶代わりに生ビールを一杯。
仕事終わりに仲間と生ビールを一杯やり、週末は登山帰りの中高年グループがノドを潤した庶民的なビアホール街だ。
2011年頃まではまだそんな雰囲気が残っていて、東京浅草の神谷バーにも通じる枯れ味の中にも華がある雰囲気は、私が案内した日本の40代以上の旅行者にも喜ばれた。
当時は「満船HOF」の前に朽ちかけたレンガ倉庫があり、作り物でないレトロ感を醸し出していた。
ビアホールの古株は、1980年創業の最古参「OBベオ」、大箱の「満船HOF」(1983年創業)と「ミュンヘン」(1989年創業)の3軒。
いずれも、日本のビアホールチェーン「ライオン」や「キリンシティ」のような洒落た店構えとはひと味違う大衆酒場感が魅力だ。
2012年の時点で、生ビール(500㏄)の値段も2500ウォンと他店より1000~1500ウォンも安かった。
2013年~2014年頃
どこで聞きつけたのか地元のおじさん以外の男性客や女性客がノガリ横丁で目立ち始めた。
テレビの撮影チームを見かけるようになったのもこの頃だ。
これは我が国の人々が西洋的な洗練を追求することに疲れ、古きよき時代を懐かしむようになってきたことと無関係ではなさそうだ。