横浜のことを知らなかったらクレイジーケンバンドを聴け!(に聞け!)と言われるくらい、横浜の魅力や混沌とした表情を描き続けているリーダー・ボーカルの横山剣さん。
オシャレでクールなスタイルに「いいね!」でお馴染みの陽気な人柄は、はまっこだけでなく万人に愛されるキャラクター。マリンタワーにて、地元横浜を愛する東洋一のサウンドメーカーに迫った!
誕生日: 1960年7月6日
出 身: 神奈川県横浜市
血液型: B型
仕 事: バンドと作曲
昔ながらのはまっこは、口が悪いが、人はいい(笑)
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―音楽を始めるようになったきっかけは?
子どもの頃にメロディーが頭に浮かぶようになって、作曲ごっこをしていたんですね。音楽室のピアノをいじって和音を探して図に描き、「夕焼け」「悲しみの入口」とか名前を付けて。それがあとでコードだと解るんですけど。自己流すぎちゃって人と共有できなかったっていうね(笑)
―実際に音楽活動を始めたのは?
小学校5年生のとき、中古レコード屋の野外サウンドシステムで実演販売をしているおじさんの手伝いをしてたんですよ。日吉の八百屋さんの前とかで即興で歌ったり、MCやったりしたのが人前で初めてマイクを持った経験ですね。日吉から追浜に行ってチャーハン食って帰るぐらいのお小遣いをもらってましたね。へへへ。
―クレイジーケンバンド(以下CKB)に至るまでの経緯は?
17才からクールスRCのバンドボーイをやってたんですが、企画だのファンクラブ責任者だの人事異動が多くて、3年目で突然ボーカルになったんですよ!ディレクションとか制作の仕事をやりたかったんですけど。それ以降いくつかのバンドを経て、港湾の検査会社に務めているときに出会ったメンバーでCKBの元になるCK'Sを結成しました。夜まで働いて夜中に練習やレコーディングをしてね。事務所に入らず自分達でやっていたので規制がなく自由にやっていましたね。(剣さんは、CKB音楽事務所ダブルジョイレコーズの代表)
―CKBはどんな音楽といえますか?ジャンルは?
特殊大衆音楽って言ってます(笑)黒人音楽の影響は大きいけれど、R&Bという括りから大きくハミ出す。昭和時代なら「歌謡曲」というちょうどいいカテゴリーがあったけど、現代のJ-POPには居場所がないから居場所を作ったのがCKBですね。ま、でも、聴いてくれる方の思った通りでいいかな。
―CKBの曲は横浜の固有名詞がたくさん出てきますが、曲作りのエピソードを教えてください
例えば「True colors」は港で仕事を追えて、長者町のライブハウス「FRIDAY」に行く途中の気持ちの高鳴りを歌っていて、この辺(山下町)がまた夕焼け時にいい色になるんですよ。ベイブリッジとかマリンタワーとか。そのときの心模様ですね。身近な狭い範囲でも気付けてない場所ってあって。外国もいいけど、他に行ってる場合じゃないぞと思いますね。
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―はまっこにオススメのCKBドライブソングを教えてください
「☆☆☆☆☆(ファイブスターズ)」(渋谷にいる女性に横浜の花火大会、まだ間に合うよ。と誘う歌)とか。「37℃」は元町プールで泳いだ後の火照った感じを表していて、舞台は元町商店街ですね。
石畳とかユニオンとか、「FUKUZO」の名前を使っちゃって事後報告だったんですけど、社長がライブを観に来てくれたのでよかったぁと思いましたね(笑)。「透明高速」は名前を出してないですけどワシン坂のことだったり、「アメ車と夜と本牧と」なんてそのままですね(笑)
―歌詞だけでなく、洗練された感じと懐かしさが混ざっているサウンドの雰囲気が横浜っぽいなと思いますが
そうですね。横浜っていい意味で混沌としていて、ダサかっこいい。それも愛しんですよ。昔の店なんか愛想なくて、だけど何も言わずにシウマイ1個おまけしてくれたり。口が悪いけど人はいい、みたいなところがあるんですよね(笑)。あと港町でワケアリの人が多いから(笑)。過去を詮索しないデリカシーもある。 泥臭さもあり、粋な町でもあり。そんな部分を音楽で表現できればと思っています。でも地域限定ソングとは違うので全国区で横浜の質感を感じてもらえれば。
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―みなと総合高校の校歌やゴミ収集車の曲など、地元と密着した曲作りも盛んですね
高校名が変わって初めての卒業式に向け、3年生から人選されて校歌を作ることになったので、こりゃ責任重大だと思いましたけど、自分の芸風でソウルフルにもカンタンにも歌える曲を作りました。嬉しかったですよ。収集車の曲は公募で集まった詩を見てすぐに曲が湧いてきました。(♪いいね~ヨコハマ いいね~ゴミゼロ)収集の度に耳にしてもらえるので、親類にも喜んでもらえてよかったです(笑)