松山ケンイチ(左)と長澤まさみ (C)エンタメOVO

 ある民家で老人と介護士の死体が発見された。捜査線上に浮かんだのは死んだ介護士と同じ訪問介護センターに勤める斯波宗典。彼は献身的な介護士として介護家族に慕われる心優しい青年だった。検事の大友秀美は、斯波が勤める訪問介護センターで老人の死亡率が異常に高いことを突き止める。大友は真実を明らかにするべく斯波と対峙(たいじ)する。葉真中顕の日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作を前田哲監督が映画化した『ロストケア』が、3月24日から全国公開される。本作で、介護士の斯波を演じた松山ケンイチと検事の大友を演じた長澤まさみに話を聞いた。

-今回は、難役だったと思いますが、演じるに当たって気を付けた点はありましたか。また、この映画のメインはお二人の対決シーンでしたが、互いの演技を見ながら、どんなことを感じましたか。

松山 まず、斯波というキャラクターは、42人を殺害していますよね。これは原作通りなのですが、原作が発表されたのは10年前です。その当時は、介護殺人がまだあまり表に出てきていませんでした。その後、介護殺人の事件がいくつか起きてしまい、命の選別や優生思想が問題になったりもしましたが、それは障がい者だけではなくて、うば捨て山のような考え方も含まれているような気がします。

 ただ、それは、僕らが『ロストケア』という作品を通して伝えたいことではなかったので、同じ殺人でも、これは全く違うというところを、演技で明確に表現しなければいけないという課題が新たに出てきたと思いました。もし、そういう事件が起こる前に、この作品がクランクインしていたら、また違う表現だったかもしれないと。

 けれども、実際にそういう事件が起きてしまったので、それとは明らかに違うということを表現しなければならない。そこはすごく悩みましたし、監督とも何度も話し合いました。とにかく、間違って伝えないようにしないといけないなと。そこには誠実さがなければ伝わらないものもあるだろうと。誠実さと殺人者というところが、うまくリンクできればいいなと思いながらやっていました。

 大友と斯波は全然立場が違うし、ある意味、法の番人と法から外れた人です。けれども、法律というのは理想のようなものなのかもしれない。実際、法律には穴もあると思うんです。それを知っているのは介護の現場にいる斯波だったりもするんです。大友が、ただ「あなたは殺人犯です。サイコパスです」と切り捨てていたら、この話は成立しません。

 僕らは、互いに問答を繰り返しながら、「もしかすると、これは間違いなのか。それとも正しいのか」という揺れみたいなものを表現しなければなりませんでした。それがある意味、この国をどうしていきたいのか、という未来の話をしている2人にもなると。僕は、そうしたことを原作から受け取って、それが(原作では)大友が男性だったから成立したのかということがすごく気になっていました。

 ところが、実際に撮影現場で大友が女性になって、まさみちゃんになっても、それができたんです。性別は関係なかったんだというのは、一緒にやらせていただいて初めて感じたことでした。男女でも、言論での殴り合いが本気でできるんだなと。それを表現してくださったので、すごく助かったし、ありがたかったし、意識的かどうかは分かりませんが、しっかりと表現されていることに驚きました。

長澤 大友も、私生活で悩みを抱えているので、斯波と向き合って事情聴取をしていく中で、だんだんと斯波の言葉に巻き込まれていって、自分の正義が見えなくなって葛藤したり、悩んだりする役柄でした。そうしたことがうまく伝わればいいなと考えながら演じていました。それがきちんと演じられれば、大友として成り立つのかなと思いました。

 対決の場面は、松山さんと一緒にお芝居をする上で、足手まといにはなりたくないなという思いがありました。ちゃんと向き合っていけるように、負けないように頑張らないといけないなと。それに検事という立場もあるので、説得力が大事だなと思いながらやっていました。そういう意味で、対等にぶつかれるような形でお芝居ができたらいいなと。

 「原作では大友は男だから、原作は読まなくていいよ」と監督から言われたのですが、気になってさらっと読みました。エリートでとても硬い印象だったので、あまり女性らしくしない硬いイメージを持って、説得力や強さを表現する。それが、私生活では迷いがある人なのに、仕事になると突き進んでいくという、意思の固さにつながればいいなと思いながら、向き合うようにしました。

 ただ、それはあくまでもイメージで、現場に行って松山さんと話したときに生まれるものを大事にしていけたらいいなと思いました。現場で変わった部分もありましたが、強さは大事にしていました。

-本作のテーマの一つは、斯波の行為は殺人か救いかということですが、その答えは出さずに問い掛ける形になっています。この点についてどう思いましたか。

松山 救いは、その立場の人の都合でしかないので、何とでもいえると思います。ただ、間違えなくいえるのは、今起きている介護殺人の多くが、決して殺したくて殺したわけではなくて、愛情があるから、愛している人をきちんとみとってあげたいという思いの中で、生じてしまったものだということです。

 介護殺人を犯して刑務所に入った人のインタビューなどを見ていると、やっぱりみんな泣いているんです。「誰が殺したくて殺すんだ」というような、悔しさや悲しさ、怒り、そういうものがすごく混じっているんです。けれども、何とか踏みとどまっている人たちはもっとたくさんいると思います。その人たちに対して 斯波というキャラクターを通して、何かを表現していきたいということは思っていました。

長澤 答えのない答えが正しいのかなと。きれいごとではないので、「こうだったんですよ。終わり」というものではないし、殺してしまった人は、罪を償うために、まだ生き続けなければならない。そうなったときに、その人の人生がそこで終わってしまうわけでもない。その先を考えなければならない。だから、そのことが起きた、判断した、そこで終わりではないということです。結果が出たことが全てではなくて、その先がどうなるかというのが、ずっと続いていくので、答えをこれからも模索し続けることが大切なことのように思います。

-前田哲監督の演出について、何か印象に残ったことがあれば。

松山 (鈴鹿)央士くん事件ですね(笑)。(大友の助手役の椎名が)斯波の供述を聞いて思わず涙してしまうというカットを撮ろうとしたときに、監督がいきなりパソコンを持ってきて、「これ、斯波とお父さんのシーン。これで泣けるよね」と。それで、監督が「ヨーイ、ハイ」って言ったら、央士くんが「すみません。泣けません」と(笑)。僕らは「そりゃそうだよね」と思ったという事件がありました。

 監督には「よくあれで泣けると思いましたね」と言ったのですが、あの重苦しい空気の中でパソコンを出されて…というのは僕でも無理です。監督には、たまに無邪気さからくる天然な部分もあるんです。あそこだけはコメディーになっていました。もちろん本編には映っていませんが。真面目にやっていても、面白い瞬間というのはあります。

長澤 シリアスな作品だからといって、撮影もシュッと進んでいくわけではありません。ハプニングもたくさんあります(笑)。

(取材・文・写真/田中雄二)