多数のヘヴィメタルやハードロックバンド、そしてヴィジュアル系バンドを輩出した関西の老舗ライブハウス「西九条BRAND NEW」。今回はブッキングマネージャーの岡西さんに西九条BRAND NEWの歴史やライブハウスをとりまく現状についてお話を伺ってきました。
――「西九条BRAND NEW」は関西の中でも歴史のあるライブハウスだと思いますが、前身の「ヤンタ鹿鳴館」まで含めると、何年くらい続いているのでしょうか?
岡西:ヤンタ鹿鳴館のオープンが1985年になるので、28年ということになります。「バーボンハウス」や「バナナホール」といった関西の有名ライブハウスと同じくらいの時期からありますね。
――岡西さんがBRAND NEWに関わるようになったのは何年くらい前からなんでしょうか。
岡西:最初はヤンタ鹿鳴館時代に、イベントを持ち込んだり、司会をやったりという形で関わってました。今から24年くらい前になりますかね。
――その頃はどの辺のバンドが出てた感じだったんですか?
岡西:僕が働きだす以前はハードロック系のバンドが一番多くて。それと、ヴィジュアル系というか、「その後"ヴィジュアル系"と呼ばれることになるであろう」バンドが出てきだした頃だと思います。色々出てきた状況の中で、LUNA SEAとか後の西川くんのバンドのLuis-Maryとか。SOPHIAの前身になる松岡くんのバンドもよく出ていたり。
X(現:X JAPAN)もヤンタ鹿鳴館の頃にここ1回だけやったことがあるようなんですね。Xはハードロックの流れでああいうルックスだったので僕は好きだったんですけど。
当時のバンドってメイクだけの方に走りがちな、どんどんソフトになってハードロックじゃなくなっていく、みたいな感じで演奏してるバンドが結構増えてきたなーって思える時だったんですね。僕から見ると。いわゆるハードロックのバンドがヴィジュアル系に変わろうとしている人たちの分岐点というか。…正直僕ハードロック派なんで(笑)。ヴィジュアル系というのを認めにくいところが当時はありました。