――なつかしいですね。

佐藤:メジャーデビューまでは行けなかったんですけど、直前くらいまではなんとか頑張ってて。ナイトメアはこのバンドの後輩にあたるバンドなんですよね。彼らもMACANAですごく頑張っていて。それから東京に出始めて、彼らに関しては東京や大阪での方が人気が出るのが早くて、後から地元でも人気が出てきたパターンのバンドだったんです。

ちなみに彼らの当時のCDジャケットやフライヤーは僕がデザインをやってたんですよ。メンバーからよく「こういうの作って欲しいんですよ」と頼まれて(笑)。

――そういうお話を伺ってると、MACANAは昔ながらのバンドを育てるライブハウスという印象を受けます。

佐藤:やっぱり自分が「ライブハウス」というものに憧れてこの仕事を始めたっていうのもありますし。人のバンドにくっついてツアー出たりして色んなライブハウスを見てきて、特に昔の東京のライブハウスなんて、バンドに対してすごく厳しかったんですよ。仙台にもそういう人がいなければバンドは育たないじゃないですか、ただ演って「お疲れ様でしたー」「楽しかったねー」で終わるんじゃなくて、「こういう風にしたらもっと良くなるよ」みたいなそういうのを言える場所がライブハウスだと思うので。

――そんな風に、ナイトメアが出てきて仙台バンド、仙台シーンも盛り上がって…みたいな感じだったのでしょうか。

佐藤:いいえ、彼らは本当に別格だったんで。それの後に続けーみたいな感じでいっぱい出てきてたら良かったんですけど、仙台シーンが盛り上がったわけではないんです。もちろん後輩たちもいたんですけど、そこに食いつくまではちょっといけなくて。ちょっと一回シーンが停滞しちゃうような時期があったんです。

ただ外目からは今言われたような感じで「仙台ってナイトメアも出たし、すげぇ盛り上がってアツいよねー」みたいなことをよく言われたんですけど、でもどんどんバンドは解散していくしそれに続けって行くようなバンドがいなくなっちゃったりとかしてて。それなりに苦労した時代があったんですよね。もちろん頑張ってるバンドもいましたけど…。
 

逆に今は外目から見てバンドの数が多いわけじゃないんですけど、「外に出ていこう」ってバンドが最近ちょっと増えてきてるかなーとは思いますね。

――MoNoLithやJin-Machineも知名度は全国区ですよね。それにHERe:NE(ヘレーネ)とかも。

 


仙台を拠点に活動しているHERe:NE(ヘレーネ)。ボーカルの和鬼子(ワキコ)さんのキャラクターが強烈。


佐藤:HERe:NEも知ってます? 実はHERe:NEの面倒見てるのが、さっき言ったSTAYのドラムで。彼自身は今は現役バンドマンではないんですけど、後輩を育てようと色んなバンドに色々アドバイスしてあげたりとかイベントを組んだりとかして裏方としてすごい頑張ってます。

――そういう風にインディーズシーンを支えながらも…そこから2011年に震災にみまわれて…。

佐藤:そうですね、地震自体ですごい怪我人が出たわけではなかったんですけど、建物の方がダメージがちょっと大きかったみたいで…赤紙って言うんですか? ビルに色んな色の紙が貼られていくんですよ。建物のダメージによって、要するに赤紙っていうのが一番悪いやつで「危ないよ」みたいな。

で、まぁぶっちゃけそれが貼られたからといって、今すぐ崩れるとか倒れるわけではないらしいんですけど。ただ「同じような地震がもし起きたら次は崩れるよ」っていうようなものらしくて、取り壊すのも義務的なものではなくて大家さんの判断でやるものらしいんですよ。

で、当時のうちの大家さんはすごい真面目な方で「人命に関わることなのでこれを取り壊してもう一回建て直したい、だから退去してください」と。それでうちらも「どうしよう」ってなっちゃって。