それに実は僕地震の3ヶ月くらい前にMACANAの代表になったばっかりだったんですよ。まだ右も左もわからないような状態で地震にやられちゃって。
――それは…。
佐藤:大変でした(笑)。あのまま辞めちゃえばもう借金しか残らないっていう状態だったんですけど。でもうちのスタッフも続けたいっていう強い気持ちがあったし「なんとかしよう」っていうことで、みんなであちこち不動産屋さんや物件を回ったりとかして。本当に震災の後だったんで不動産屋も満足にやってるのかわからない状態でしたね。
それで探しまわってようやく今の場所を見つけました。うちが入る前は元々居酒屋さんだったんですが、遡ればここはもともと映画館だったんですよ。
――「名画座」という映画館だったと伺っています。
佐藤:名画座だった頃はまだ子供だったので、行ったことがあるかは覚えてないんですが、ただその後に居酒屋さんになってた頃に何回か来たことがあって、すごい天井が高くて広くて「ここをライブハウスにしたらすごいカッコイイな」っていうことを思わせるような物件だったんですよ。
で、不動産屋さんに「何か動きがあったら教えてね」みたいなのは実は言ってたんです、たまたま。
で、地震のちょっと前…1月か2月位に「ここ空くんですよ」っていう話をちょっと聞いたんです。ただ「次の人がもう決まっちゃってるんですよー」と。その時はもちろん移転も何も考えてないので「あーそうですかー」くらいの気持ちだったんですけど、実際地震のあとに色々探していた時に「そういえばあそこってどうなったんだろう」と思って調べたら、ちょうど次に入ることが決まっていたところが地震が原因で契約が解除になっちゃったらしくて、この物件が空いちゃってたんですよ。それで「ここでやらせてください」飛びついて。
幸いにもここの大家さんも、エンターテイメントにすごく理解があって…、今は東京でアニメの脚本を書いてる大河内一楼さんという方なんですけど。
――えっ! 『∀ガンダム』や『コードギアス』の脚本家ですよね?
佐藤:そうです。お会いして色々お話してて、ここの元々の持ち主は彼のお父さんで、楽器屋さんをやっていらしたらしくて、お父さんもエンターテインメント全般がすごくお好きで、ビルを作った時に映画館をっていうことでここができたそうなんです。
彼自身ももちろん声優さんのライブとかでライブハウスには行ったことあるから、どういうものかは何となくわかってたみたいで、「是非やりましょう」となって。すごいいい条件で入れてもらえたんですよ。そういう縁もあって、ここにライブハウスを作るということが決まると、次は内装の工事をしなくちゃいけないじゃないですか? そこでもひとつ問題がでてきて。
――その時期はおそらく仙台市内の建築業者は復興支援で出払ってますよね。
佐藤:そうなんです、それでどこの業者に頼んでいいかも全然わからなくて。どうしようかなと思ってる時に、たまたまうちに出入りしてる東京のバンドさんで、建築士の免許を持ってる人がいたのを思い出して、ちょっと電話してみたんですよ。そしたら実はその方がライブハウスや音楽スタジオを専門に作っている建築業者の社長さんだったんですよ。
――おー!
佐藤:ホントに偶然だったんですけど、事情を説明して「実はMACANAが震災でダメになっちゃって、場所は見つかったんだけど、どう工事していけばいいかわからないんで協力してもらえないか」と言ったら、快く引き受けてもらって、設計から全部やってもらって。
その他にも解体工事も工務店も全部バンド仲間が入ってくれて、実際にここの壁のクロス貼りとかあるじゃないですか? これとかもバンドマンの手によるものなんですよ、バンドをやってたとか昔バンドやってて今そっちやってるとか…そういう音楽関係のみんなに助けてもらって、人の繋がりがあってできたのがこの場所だったんです。
――人が、音楽がつなぐ縁みたいな。
佐藤:そういうことですよね。