「尽くされる側」の気持ちとは

「恋愛に自信がない」と低い声で漏らす有里さんには、最後にお付き合いした男性から「縛られるのが大変だった」と言われたことが今もつらい記憶として残っていました。

「縛るようなことはしていなかったはずです。

彼が週末に飲み会に行くのも止めなかったし送り迎えまでして、次の日も彼の好きなように過ごしてもらっても私は何も文句は言わなくて。

女友達とか会社の人とか、いろんなお付き合いがあるじゃないですか。

そこに口を出すのは私がされても嫌なことだから、不満を言ったことはなかったのですが」

そんなつもりはまったくないのに真逆の思われ方をされることが、有里さんには理解できませんでした。

具体的にどんな状態だったかを聞いてみると、「飲み会のときは彼から連絡があるまで起きて待っている」「次の日は胃腸に優しい食事を用意する」「その後一日家でダラダラしたい彼のために自分は掃除などをする」で、有里さんの言動の基本に彼への配慮が見えてきます。

第三者として聞いていれば、「できる彼女」であり彼氏は果報者だと感じますが、一方でそれをされる男性の気持ちに立ったとき、景色はがらっと変わります。

「自分のことは気にせず寝ていてほしい」と彼氏が言っていたこと、それに関わらず「心配だから」と迎えに行くことを提案し続けたこと、「掃除なんかしなくていいよ」と言われたのに、「飲み会の次の日で疲れているでしょう、私がやるから」とソファで横になる彼の前で掃除機をかけていたこと。

男性にとっては「そこまでしなくていいのに」と感じるのが「尽くす」有里さんの姿。自分の提案を受け入れないことが、「縛られる」という実感につながった可能性がありました。

飲み会は久しぶりに会う友人たちと一緒と有里さんは聞いており、「夜中まで話していたいけれど自分の部屋で待っている彼女を思えばそうもいかない」、という窮屈さを彼氏が覚えたかもしれないことは、有里さんは想像していませんでした。

「縛られる」のは自分の言動についてではなく、彼女である有里さんの好きなように「させるしかない」ことが、男性にとっては不自由さを生んでいたのではないでしょうか。

「対等でない」関係になっていた

規則正しい生活で仕事にも前向きに取り組み、仲のいい女友達も多い有里さんは、心が自立しており他人を振り回すような不安定さは見えません。

お付き合いは対等な関係であって、「女性だからこうしてもらう」「彼氏なのだからこうするべき」のような古い価値観も、有里さんは持っていませんでした。

それらは話していると伝わってきますが、だからこそ尽くすことを「自分だけの満足で置ける」強さがあって、見返りがなくても彼氏を責めずにいられるのだと思います。

一方で、男性からの提案を拒否する、「しなくていいよ」と言われたのに「気にしないで」で済ませて“やってしまう”強引さは、思いやりや配慮とはまた方向が違うかな、とも感じました。

有里さん自身が構わないと思っても、「先に寝てくれるほうが気楽でいられる」というのが彼氏の本心かもしれず、「迎えは来なくていいよ」と言われたときにそこまで話し合えなかった心の距離は、普段から「そう言ってもこの子は自分のしたいようにする」という諦めが男性の側にあったのかもしれません。

ソファでだらけているときに目の前で掃除機をかけられたら、有里さんは気にしなくても男性のほうはわずかな罪悪感を抱えることは、想像できました。

そんな窮屈さが「縛られる」という実感を生んだのかもしれず、対等な交際のつもりでも実際は「彼女の尽くしたい気持ちを受け入れるしかない」という状態で、そんな男性の気持ちを有里さんは見ていませんでした。