ノンフィクション作家・佐野眞一が孫正義伝を書いた。

  題名の『あんぽん』は、孫の旧姓・安本から取られたものである。孫は、この姓を音読みして「あんぽん」と呼ばれることをひどく嫌っていた。在日三世という出自を隠して生きてこなければならなかった自身の半生に対する侮蔑につながるからだ。

 孫は1990年9月に帰化したが、あえて安本ではなく韓国人としての本来の姓・孫を名乗ることを選んだ。だが、法務省からは「日本にはその姓がないから」という理由で拒絶される。そこで孫は日本人である妻をまず「孫」に改姓させ(韓国では夫婦別姓なので妻は旧姓のままだった)、「日本人にも孫姓がいる」という前例を作って改姓を認めさせたのである。
 韓国人としての出自を隠さずに名乗ることは、孫にとって自身の根幹をなす重要な一事だった。孫はソフトバンクの前にソフト卸の会社ユニソン・ワールドを興している。そのとき、孫の名前を使うか、日本姓の安本を使うか、2つの選択肢があったが孫は迷わず前者を選んだ。韓国の名では銀行からも差別される、なぜ難しい道を選ぶのか、と反対する親戚たちに、こう答えたという。

 「(前略)孫という本名を捨ててまで金を稼いでどうするんだ、と言いました。それがたとえ十倍難しい道であっても、俺はプライドの方を、人間としてのプライドの方を優先したいと、言いました」

 著者の佐野は、孫の信奉者ではない。孫は活字媒体のデジタル化を進めて紙の本をなくしてしまおうとしている男だ。佐野はその態度を批判する。技術の進歩のみを追い求めるばかりに、孫は技術の背後にあるはずの歴史に思いを馳せることを怠っている。それは人類にとって大切な過去を葬り去るだけではなく、本当の未来を見失うことにつながる愚行だ。孫の言動はしばしば大向こう受けを狙った軽率なものに見える。そうした「いかがわしい」雰囲気を孫がまとっているのはなぜかを考えることが、本書のテーマの1つである。
 こうした姿勢からも判るとおり、佐野がやろうとしていることは情報革命の推進者としての孫を賛美することではない。そういうことは「自称」IT評論家に任せておけばいい。ソフトバンクを創業し、一代で巨大企業へと成長させた立志伝中の人物として孫を描くことでもない。そうした判りやすい孫正義伝は、世の中に嫌というほどに転がっている。佐野は、そうした手垢のついた物語を排除するところから佐野の仕事は始まっている。少し長くなるが、第四章から文章を引用しよう。

――しかし、人間はおあつらえ向きの物語に生きられるほど都合よくはできていない。孫正義はいまから百年前に、故郷を食い詰めて海峡を渡ってやってきた朝鮮人の末裔である。
 祖母は残飯を集め豚を飼って一家を支え、父は密造酒とパチンコとサラ金で稼いだ金をたっぷり息子に注いで立派な教育をつけさせた。孫一家にとって、在日三世の正義は何よりの誇りだった。
 そのことにふれず、孫をコンピュータ世代が生んだ世界的成功者と持ち上げるだけ持ち上げた物語が、これまでどれほど多く書かれてきたことか。それはいくら切っても血が出ないお子様相手のサクセスストーリーでしかない。
それだけではない。そこには、われわれ日本人が孫の半生から一番汲み取らなければならない在日の苦い物語がすっぽり抜け落ちている。孫の額には、子どもの頃、石をぶつけられた傷跡が今も残る。(後略)

 極論すれば孫正義という人間の身体一つに、孫正義という存在は収まりきらない。朝鮮半島から海を越えて渡ってきた父母の歴史を遡り、その起源がどこにあるかを佐野は求めようとするのである。
 たとえば父方の家系である孫家では儒教思想の影響が強く、男系の家族が理屈を越えて尊重された。父親と男の兄弟だけが別室で食事をとるような家族だったのだ。正義の父・安本三憲は、息子に天賦の才を見出し、あるときから息子を自分の子ではなく「社会の子」として育てようと決意したという。そうした天才教育が、孫正義の性格の根幹を形作ったことは間違いない。
 また、孫の母方の叔父は、三井山野炭鉱の事故で落命している。周知の通り、孫正義は福島第一原発の事故に衝撃を受けて脱原発の活動を開始し、10億という私財を投じてそのための財団を発足させた。孫の家系はエネルギー産業と深い関わりを持っているのだ。日韓併合後の日本では、朝鮮人が炭鉱という危険な場所での作業に従事するための安価な労働力として酷使された。同じように原子力発電も、一般人の目が届かない場所にいる者に負担を押しつけることで成立している産業だ。孫は今、そうした産業のありようを是正するための闘いを起こそうとしている。
 こうしたもろもろのことが在日というキーワードによって切り口を与えられ、分析されていく。

 先に触れたように、本書は孫を賛美する本ではない。ソフトバンクの創業者として孫は、他人を裏切って人生を狂わせるようなこともしている。孫の親族は異常に見えるほど互いに仲が悪く、文字通り骨肉の争いをしている者たちもいる。そうした負の側面も佐野は余さず描いているのだ。本書の中で佐野は安本三憲について歯に衣を着せぬ物言いをしているが、三憲は連載媒体であった「週刊ポスト」を読んでたびたび激怒したという(梁石日『血と骨』を地でいくような三憲は、本書でもっとも魅力的な登場人物だ)。何ものにもおもねらず、事実を綴ることのみに徹する佐野の真骨頂である。
 そうして虚飾を剥ぎ取った末に浮かび上がったものが、文字通り等身大の孫正義像である。気高さといかがわしさを共にまとった、活火山の如きエネルギーの持ち主。佐野は、たしかにその内奥を描き出してみせたのだ。

すぎえ・まつこい 1968年、東京都生まれ。前世紀最後の10年間に商業原稿を書き始め、今世紀最初の10年間に専業となる。書籍に関するレビューを中心としてライター活動中。連載中の媒体に、「ミステリマガジン」「週刊SPA!」「本の雑誌」「ミステリーズ!」などなど。もっとも多くレビューを書くジャンルはミステリーですが、ノンフィクションだろうが実用書だろうがなんでも読みます。本以外に関心があるものは格闘技と巨大建築と地下、そして東方Project。ブログ「杉江松恋は反省しる!