森永製菓株式会社(東京都港区芝浦、代表取締役社長・太田 栄二郎)は、「森永ミルクキャラメル」111周年を記念した商品を5月28日(火)より発売いたします。
抹茶の風味とまろやかなミルクの味わいがマッチした「ミルクキャラメル<抹茶>」、柔らかな食感と上質な味わいを楽しめる「とろ生キャラメル」、ミルクキャラメルの味わいを焼菓子に仕立てた「ミニガトーショコラ<ミルクキャラメル>」と「ミルクキャラメルクリームサンドクッキー」です。
また、おなじみの黄色い箱の「ミルクキャラメル」、そして「ミルクキャラメル<抹茶>」は、フィルムと中箱を重ねると111周年をお祝いするデザインの3Dアートが楽しめる特別なパッケージで発売します。
「ミルクキャラメル」は、1913年6月10日に誕生し、6月10日は「ミルクキャラメルの日」として制定されています。パッケージにある「滋養豊富・風味絶佳」という言葉の通り、西洋菓子に馴染みのない時代に、森永製菓の創業者・森永太一郎が「日本の人々に栄養価の高いおいしい西洋菓子を提供したい」という想いを込めて発売した、森永製菓の原点ともいえる商品です。時代を超えてみなさまに愛され続け、111周年を迎えます。その感謝の気持ちをこめて、「ミルクキャラメル」のおいしさや100年以上磨き続けた製造技術、歴史を生かした様々な商品を展開することで、お客様に笑顔を届けます。



■商品概要



【ご参考】111周年を迎える森永ミルクキャラメルの歴史

日本のキャラメル元年 ~森永太一郎の挑戦~
日本製のキャラメルが誕生したのは、1899(明治32)年のことでした。森永製菓の創業者、森永太一郎によって作られ、販売されたのが始まりです。当初はなかなか受け入れられませんでした。そこで太一郎が思いついたのが「実物見本箱車」。菓子の見本を並べたガラス張りの箱車を引いて、売り込みました。ところが、評判にはなるものの、ようやく1件の受注を得たのは、開店後2ヶ月が経ってからでした。
(写真左)箱車 (写真右)森永太一郎

キャラメルだけがなかなか売れず
販売していた西洋菓子の中でキャラメルは伸び悩みます。太一郎がアメリカで習得した製法のままでは、湿度の高い日本の気候には適さず、また、風味も「乳臭い」などと言われ、乳製品になじみの薄かった当時の一般的な日本人の嗜好には合わなかったのです。

味と品質を改良し、徐々に評判に
乳製品を減らしたり、煮詰める温度を高くして保存性を高めたりなどの品質改良を重ねると、徐々にバラ売りキャラメルが評判になっていきます。どんな時もキャラメルの原料や品質を落とすことを許さない太一郎の厳しい姿勢には、「おいしくて栄養価の高いキャラメルを日本の人々に食べさせたい」という強い想いがありました。

紙サック入りにして大ヒット!大人には「煙草代用」とPR
乳製品の栄養価が注目を集めるようになり、1913年、乳製品の配分量を増やして「ミルクキャラメル」の名で新発売。
一方で、携帯できる容器にキャラメルを入れたら、飛躍的に普及するのでは?との考え、新たな容器の研究が進められ、今とほぼ同じ形の紙サック入りのキャラメルに行きつきます。1914年の東京大正博覧会で博覧会土産として人気を呼び、前代未聞の売れ行きとなりました。これをきっかけに、本格発売したところ爆発的人気に。国民的お菓子への道のりをあゆみ始め、111年を迎えました。
(写真左)1913年「ミルクキャラメル」の商品名で発売(1粒/5厘)最中や大福1個とほぼ同じ値段
(写真右)1914年 紙サック入りの形に(20粒入/10銭)



(写真)1914年のポスター。高級品だったため、大人に「煙草代用」とPR


<ミルクキャラメルの日>
1913年6月10日、「キャラメル」に“ミルク”の冠詞をつけた「ミルクキャラメル」を発売。世代を超えた多くのお客様の思い出と一緒に愛され続けている「ミルクキャラメル」の記念日です。「ミルクキャラメル」を通じ、懐かしい思い出を語り合う日として2000年に6月10日を「ミルクキャラメルの日」として登録し、「日本記念日協会」に制定されました。
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