4.社会派ドキュメンタリー期
103巻以降も究極と至高の対決は続いていきますが、3人目の子をもうけた山岡と栗田さんは担当者から降板します。後任には若手社員・飛沢が選ばれ、山岡たちはアドバイザーとして取材などに参加します。
この飛沢は東西新聞の社員でありながら雄山にも心酔して、なんと“弟子入り”までしてしまう個性の強いキャラクター。この時期は雄山もさらに人格者となり、飛沢を鍛えるため助言を惜しみません。飛沢は山岡と雄山、どちらからも教えを受けられるというすばらしい環境で能力を伸ばしていきます。
さて、本編は引き続き山岡視点をメインに、社会派ドキュメンタリーの色を強めます。連載初期~中期は「東西新聞」「帝都新聞」といった実在しない社名ばかり出し、また捕鯨などデリケートな問題を扱う時も固有名詞の多くは架空でした(実在の名称が出る話もありましたが)。しかし近年はその傾向が変わり、実在する店舗名・地名・人名の出てくる頻度が格段に高まりました。
2011年の東日本大震災以降は原作者・雁屋哲氏も被災地の取材を熱心に行なっていたようで、108巻は丸ごと1冊「被災地編・めげない人々」として東北地方の惨状や、苦境でも負けない人たちを紹介しています。これが(今回話題にもなった)110巻以降の「福島の真実編」へと続いていくわけです。実際に読んでみると被災地へのエール、そして福島県産食品が受けている“風評被害”への憤りが描かれており、ニュース報道とはまた違った印象を受けることでしょう。
ドラマとしては父子の和解が完全なものとなり、最近はついに雄山を「父さん」と呼んで普通に会話している山岡が描かれました。古くから『美味しんぼ』を追いかけているファンとしては、このシーンだけで感動ものです。
『美味しんぼ』がもたらした功罪
ここまでおさらいしたように、30年あまりにわたって“食と社会のつながり”“父子の対立と和解”を描き続けてきた『美味しんぼ』。いまや国民的グルメ漫画になり、発行部数は1億冊を突破しています。
まだインターネットもなかった連載初期、「魚はシメてから時間をおいたほうが美味しい」「日本が真夏でも良質な蕎麦粉を入手できる」など豊富な情報量で読者をうならせ、また“グータラ社員が偉い人間をやりこめる”というカタルシスに満ちたストーリー構成は誰が見ても分かりやすく、純粋な娯楽活劇として楽しめました。
数えきれないほど誕生した後発のグルメ漫画も「後から料理を出した側が勝負に敗れる」「たまたま主人公が訪れた潰れかけの店は必ず最後に繁盛する」といった、『美味しんぼ』が普及させた王道パターンの影響を受けています。情報量、人情、恋愛、料理バトル、父子の愛憎劇が多重に絡み合った『美味しんぼ』は、まさに日本の漫画界が誇る“傑作”のひとつに数えられるでしょう。
反面、あまりにメジャーになりすぎたため、作中の描写が大きな社会的関心を呼んでしまうことにもなりました。良い意味では“歴史的和解”報道であり、悪い意味では“放射能と鼻血描写”報道です。今回の騒動について雁屋氏はブログで「ここまで騒ぎになるとは思わなかった。」と語っていますが、これは自身の作品がもつ影響力を甘く見すぎていたのでは、と思われます。
過去に『美味しんぼ』の描写をめぐる問題は何度かありました。“乳幼児にハチミツ入の離乳食を与える”回は危険だとの指摘を受けて欠番エピソードになり、また“マイクロソフト製品を全面否定した”回がマイクロソフト社を怒らせ、実際に同誌から広告を引き揚げる騒ぎにもなっています。
また、14巻に収録された話では、山岡たちの上司が「上司の食事の誘いを断る者はガンにかかってしまえ!!」と茶化すシーンがあります。当時はそれほど有名漫画でなかったこともあり見過ごされましたが、もし現在の『美味しんぼ』で同じセリフを出したとすれば、患者団体などから抗議が寄せられかねません。雁屋氏とスピリッツ編集部には『美味しんぼ』が秘めている影響力を過小評価せず、また主観の入った(科学的根拠はないが被災地で鼻血が出る)シーンでは「※取材に基づいたフィクションです」の文言を入れておくなど一定の配慮を願いたいところです。
『美味しんぼ』は「福島の真実編」を終えてから休載しており、再開時期や新シリーズのテーマは発表されていません。ファンとしては今一度“食をテーマにした人情コメディ”の原点に立ち戻り、昔のように泣いて笑って感心しながら読み進められる『美味しんぼ』復活を心待ちにしています。