はたして五輪はパリで失ったパワーを次のロサンゼルス大会で取り戻すことができるか

パリ五輪が閉幕する。開会式の過激な演出に始まり、質の低い審判団による疑問の多い判定、汚いセーヌ川での水泳競技、選手村での不十分な食事にエアコンのない部屋と、散々な大会だった。世界最高のアスリートを迎え入れる場としてはあまりにもお粗末。史上最低とささやかれるほど、問題だらけの五輪だった。

日本人の多くはフランスに良い印象を持っているのではないかと思う。なかでもパリといえば憧れの都というイメージもまだ根強いだろう。そのイメージを保っているスポーツイベントは、毎年夏に開かれる世界最大のサイクルロードレース、ツールドフランス(ツール)だ。出場するだけでも名誉と言われ、1ステージでも勝利を得れば、孫子の代まで語り継がれるヒーローだ。フランスと近隣諸国の風光明媚な場所を自転車で駆け抜ける様子が、長時間にわたって中継される。フランスにとって最も効果的な観光集客イベントともいえるだろう。毎年、ツールのゴールはシャンゼリゼと決まっている。しかし今年は、7月21日までの4週間、走り続けたレースのゴールは、パリではなくニースだった。ゴールの日はパリ五輪開幕直前。コンコルド広場が五輪の競技会場になっていることもあって、これまで110回の慣例を破って、ゴールの地をゆずったのだ。

にもかかわらず五輪のこの体たらく。特にセーヌ川でのトライアスロンやマラソンスイミングの強行には胸を痛めた。セーヌ川はそもそもクルーズ船で行き来するところだ。誰も泳ごうとは思わない水質。ドブ川といっていい。泳げる川に戻したいという心意気は認める。パリ市ではおよそ2300億円を投じて水質改善に取り組んだという。しかし全く不十分だった。いくら市長がちょっと泳いでみせたからといって、アスリートの健康が保証されるわけではない。選手は、ここで泳げと言われれば他に選択肢はない。心から同情する。せめて大事に至らないことを祈りたい。審判の質の低さが指摘され、疑問の判定が多発した柔道を筆頭に、男子バスケットでの謎の退場と体に触れない謎のファウルなどなど、世界最高のスポーツイベントにふさわしくない運営が目立った。一体主役は誰なのか。まったく分からない。ツールで毎年見せているフランスの美しさとは真逆。今回のパリ五輪は史上最悪のパリの逆宣伝になったのではないだろうか。五輪のごたごたを通じて、フランスが嫌いになった人も少なからずいるだろう。

五輪、特に夏季五輪では、関連商品の特需に期待が集まるが、ほぼ毎回肩透かしに終わる。しかしこの6月と7月に限れば、日本のテレビの売り上げに多少は貢献したのかもしれない。コロナ禍特需以降、反動減に苦しんでいたテレビだが、6月の販売台数前年比は106.3%、7月は103.8%だった。販売台数指数もこの7月は、2022年7月と同水準にまで回復してきた。五輪の運営にいろいろ問題があると言われていたことが興味を引いた可能性も、わずかながらある。これからどんどん売り上げが伸びていく勢いは感じられないが、右肩下がりのトレンドに一旦ブレーキがかかった格好だ。一方、右肩下がりに歯止めがかからないのがレコーダー。販売台数は3年前の半分以下にまで落ち込んでいる。現在ほとんどのテレビでハードディスクをつなげば録画できるようになっている上、TVerなどのネット配信も普及しているため、ほぼ「役目を終えた」感が強い。

今回のパリ五輪は、なぜか当初から心が躍らなかった。五輪というパッケージの力がほとんど感じられなかった。それぞれの競技の世界大会が、たまたま同じ時期に同じ国で行われるだけ。単なる特別週間という程度の感覚に近い。自分が歳をとったからか、五輪自体が変質してしまったからか、どちらかあるいはその両方なのかは、わからないが……。前回の東京大会で無観客開催を余儀なくされ、五輪のパワーは明らかに弱まった。しかし東京では運営でコロナ禍によるマイナスをカバーした。パリではフルフルの開催ができる環境に戻ったのだが、運営の質の低さがアスリートのモチベーションを下げた。ひいては五輪全体のパワーダウンを招いているようにも見える。五輪も「役割を終え」つつあるのか。もしかするとこれは「終わりの始まり」なのかもしれない。(BCN・道越一郎)