順子(1980年6月5日リリース シングル)

アルバム収録曲だったものの、有線リクエストで人気を博し、シングルカット。本来は冗談ソングとしての存在で、本人が望んだリリースでは無かった。くしくも大ヒットとなり、「順子の長渕」という世間からのイメージに悩まされ、それを克服するのに10年掛かったと後に語っている。

ライブに行きたくとも行かれないというファンのためにテレビ出演。ライブと同じギター1本で出演し、「間違ったらもう一度頭からやり直しますんで、ひとつよろしくご勘弁いただきたい」「手拍子は勘弁」という拘りを貫き、その堂々たる態度がヒットと共に「生意気」というレッテルを貼られるようになり…。
 

白と黒(1980年9月5日アルバム『乾杯』より)

先述のレッテル、言わば有名税。そんなマスコミや世間に対しての中傷を明るく軽快な楽曲にのせている。本作のテーマでもあり、長渕作風の特徴「怒り」の始まりでもある。

巧みなフィンガーピッキングが定評のある長渕アコギ曲の中でも最も難易度の高い部類の楽曲。日本のカントリー・ギターの第一人者とも言うべき、Dr.Kこと徳武弘文との共演。徳武は長渕バンドのバンマスを務め、そのときの卓越したプレイの印象が強かったらしく、今でも長渕はギターの話になると徳武の名前を出している。
 

乾杯(1980年9月5日アルバム『乾杯』より)

言わずとしれた結婚披露宴の定番曲。当初はタイトルにもなったアルバム楽曲で、1988年にセルフカバーとしてリリースしたシングルが大ヒット。このシングルリリースを推し進めたのが、当時東芝EMIにいた石坂敬一氏で、ユニバーサル・ミュージックの会長に就任したときに長渕を同社に招き入れていたと言われている。

現在、ユニバーサルはEMIミュージックを傘下としており、それにより長渕はEMI RECORDS所属となった。意図せぬところから事実上、古巣に戻っていることが感慨深い。