その日、東京では朝から大きな地震があった。2012年1月28日、土曜日、13時50分。わたしはいわきの高校にいる。カーテンのないアトリエの窓から、冬の陽射しをいっぱいに受けてストレッチをしている高校生。緊張した面持ちで、確かめるように言葉を繰り返す生徒、まるで自分たちの世界を崩さず談笑している生徒、ローテーションを確かめ合う生徒。を、鋭い眼光で眺めている藤田貴大さん。を、眺めている。
福島県立いわき総合高等学校 総合学科 芸術・表現系列(演劇)の授業を選択している生徒による第9期生アトリエ公演『ハロースクール、バイバイ』。マームとジプシーの藤田貴大さんが、いわきの高校生たちと一緒に作った作品。を、観に、いわきの高校に、わたしは来ている。
「いま、演劇の表現がすごいらしい」
という話を聞いたのはいつごろだったか。わたしは音楽が好きで、音楽のライブにはよく足を運ぶけど、演劇には疎い。その話を聞いたときもまったくピンと来なかったし、正直行こうという気にはならなかった。すごく信頼しているひとが、ままごと「わが星」を絶賛しているのを知って、「それなら」という気持ちでようやく観に行ったところで、「確かにすごいのはわかる。だけど、同じお金を払うならももクロを観る方がいいなぁ」ぐらいの、たいへん失礼すぎる感想を抱いた。めいっぱい身体を動かして、歌って、踊って、アイドルが表現する「君が好き、それだけで世界を変える」というポップミュージックの魔法を目の当たりにする方が、自分にとっては、いま、大事な瞬間だと思った。
初めてマームとジプシーを観たのは「Kと真夜中のほとりで」。残されたわたしたちが、死と向き合う物語。多用されるリフレイン、何度もプレイバックされる場面、精神を追い詰めるほどの運動量を経て吐き出される台詞、汗びっしょりになって倒れこむ役者さん、そしてまた繰り返される場面。同じように繰り返しながら、運動はさらに肉体を追い詰め、リフレインはヒステリックに、極限状態で叫ぶように絞り出される台詞。その凄まじさに心底驚いた。生や死と向き合おうとするには、こんなにも役者の身体を追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて、汗も涙も垂れ流しで、苦しみで顔が歪むほど限界まで肉体を追い詰めて、初めて、成立するものなのか、と思った。生きるというのは、こんなにも苦しくてしんどくて、迸る熱情にまみれているのだ、と、突き付けられてるようだった。同時に、リフレインは徐々にこちらの感情をも高ぶらせ、同じように、記憶の経験を錯覚させる。つまり、これは、藤田さんの記憶であり、役者さんの経験であり、観ている私たちの体験そのものだ。約2時間という長い舞台のなかで、わたしは思いっきり自我を揺さぶられた。脳も五臓六腑もクラクラした。音楽という表現がとても追いつかないスピードで、新しい表現を生み出す新世代がいることを知った。これまで演劇に触れてこなかったことを後悔した。